葉っぱの笛、


龍笛の音、


そして今朝からの木枯らし。


同じピープーにも色々あるけれど、


勢いがついた空気の流れの音なんですね。


動物がするそれは「息」、


自然現象のそれは「風」、


ふと、そう思ったりしました。



自然(科学)を擬人化した場合は、


どちらも「息」になりますね。


日本人は古来から万物、つまり物にも命が宿っているという考えがありますから、


やはり地球にも雲にも気圧にも対流にも命があるとするのでしょうね。


風は実際には生きてはいません。


けれども私たちという生命の耳を通じて、


命を吹き込むのかもしれないと、


そう思ったりもしました。


葉っぱの笛や龍笛は切り離したり加工してしまうけれども、


木枯らしの音は、



大地にしっかりと根をおろした広葉樹が、


その枝や散り残った葉を通じて、


冬の凛とした息吹きにして、


私たちに季節を音として表現してくれているのかもしれません。


それをまた命ある人間のこの耳で聴く。


私は視覚と同じかそれ以上に聴覚などの視覚以外の感覚器が発達している事を、


視覚が主に発達する人が多数という意味の普通ではないので、


幼い頃から親には理解されませんでしたし、


周りにも滅多に理解されずに生きてきました。


けれどもこうしてインターネットを通じて広く交流させていただく様になり、


昔なら縁が繋がらなかったであろう理解して下さる皆様にお逢いする事が出来てきました。


コンプレックスやトラウマが、

少しずつ癒されて行きます。


少なくとも冒頭に書いた感性は、この少数つまりレアな視覚以外感覚器の同等以上発達があってこそだとすると、

そんなに毛嫌われたり、

疎外されるものでもなかろうに、

はてさて不思議な人生の前半戦だったなぁ、と、


思ったりしています。


記憶に無い程の久しぶりに、


殆どの世俗的な用件を、

気にしないで済んだ午前中でした。


先ずはまったりお茶でも飲みますかお茶ドキドキ