谷村新司さんの曲にあったような。

挿入歌だったドラマがあったような。

怖い学校。

不安と緊張で眠れなかった息子、

すりガラス越しでいいから太陽の光を感じよう?

セロトニンさんが出てくれるから。

そう呼び寄せました。

すると徐に、

『ボクが学校に行こうと、行かないまいと(発達障害なので不思議な言い回しの時があります(^_^;)、

太陽はそんな事関係なくいつもいるね~。』

…そうだね。

その通りだよ。


うまく周りに合わせられなくて、

理解されなくて、

疎外感だらけで、

アイデンティティが欠如しちゃって、

存在してもしなくてもいいんじゃないか、と、

自ら危ない道に行ったり、

自傷したり…



穢れ無き眼、

支配と保身の言葉を操る大人を、

どう見ているのか。


精神科のみならず病院では、

本人を通じて、

家族が解る。


私は小さい時に、

親が同伴しなくなった。

10歳で育児放棄をした。


私は結構ブログを書くので全部話すと思われがち。

でも実際は違う。

振り返って見ると10歳は東京から大阪に移り住んだ翌年。


母の生育や当時の状況を考えると、

やはり孤立していたんだなぁ、

と思う。

核家族の走り。

転居が何回もあり、

周りに頼る親戚知人がいない。

けれど都会に住んでいる、

ただそれだけの理由で、

自分は頼るだけの親戚知人。

疲れていたんだろう…。

母の末の妹のご主人、

つまり義理の弟が、

家を建てる、と、父に保証人を願いに来たのもこの頃。

当の父は既に両親に他界され、

収入はあったけれども、

借家住まいだった。


プライドの高い母が、

年下のきょうだいにある意味先を越される屈辱と、

都落ちした屈辱と、

他にここでは書けない屈辱を一気に味わい、

既に正気では無かった様に思う。


祖父に、祖母に、父に、小姑に、世間に、国に、

振り回されたように、

今の私には映る。


私は母の年代からすると遅い子どもなので、

丁度今の私の年代なんだろうと思う。


仕事と称し面倒な事を一切、

母に押し付けて長期に渡って逃げていた父、

全ては仕方の無い事の様に思う。


私もともすれば娘がするように、

思春期が無かった分、

体当たりで母を試している部分があるのではないか、

と思う。


でもそんな必要はもう無くて、

太く短い人生だった実は寂しくて、

内面が暴れている父とパートナーを続けられる人は、

母以外に居なかったのだと、

今ならそう思える。


あの二人はあの形なんだ。


外の誰が何をどう言おうと。


今はそう思っている。


だからもう、

つまらない偏見や、

理想の押し付けも、

押し付けられも、


…もうたくさん。



さ、体、起こせるかな…


緊張と不安から解放された息子は、

ようやく寝息を立てました。


学校って何だろうね。


ここに来てよく解らなくなったよ。


でも私の夢、ひとつ叶ったんだ。


『学校?


行ってどうするの?』


は人から言われたくなくて、

自分が行って、

この目で確かめたかったから。


言ってない人が本当にそう思って言っていたかは知らないけど、

私は行ってから、

体験してから、

何かを発言したかった。


そう、自殺した従兄もそういうところがあった。


『"ボクのお父さん社長♪"

っていう奴に、

"そういうお前は?"と思う。』


って。

伯父さんは年商かなりの社長です。


そう、思春期って、

敵わないのを解ってて、

親を本気で乗り越えようとする、

大切な通過儀礼というか。


私も同じ想い。

まだまだ、と思って、

踏ん張るも、

加齢を感じて、

どこかで逞しくなって来た事が嬉しくて。


だけどそれが病気や怪我や障がいなどによる場合は、

違うと考えています。


だからやはり、自分と同時に他者を理解する事が基本だと思います。


発達心理学においては、

まず自分が独り占めしてしまってから、

はた、と、周りに気づいて、

その事実に対してシェアを始める、

という成長が基本になっていますが、

『何年で』という、

厳密で頑強な事は明示されていません。


そんな時間の支配をする人は管理する側の人です。


日本人は律儀ですからね。


ライブでも途中入退場いいと思います。


対価に伴わない演奏なら、


ブーイングも返金もいいと思います。


プロや先生や権力に弱いですよね、


何だか。


ふ、と、


『アイツが女で良かった』と、


生前父が周囲に話していたと、


人づてに聞いたのを思い出した。


…はて?