女子大の頃にお世話になった、
哲学の佳子先生憧れのお方なんだそうです。
10年前なので当時はお名前だけを記憶に留めました。
一回り以上も年が下の学生に混じって、
最前列で講義を受けただ直向きに授業を受けました。
哲学というので、さぞかし難しいだろうと思いきや、
入り易い導入をしてくださる先生でした。
お話出来るようになって、
毎日がとても不安だと申しましたら、
中庭の池に連れていって下さって、
多忙でおいでなのに小一時間、
深い深いお話をして下さいました。
御家族の心の葛藤をさらけ出して下さいました。
最近、人のお話は詮索したいけれど、
自分の事になると壁を作られる人が多くなったように思います。
先に人生の先輩が、丸腰で来て下さると、
安心して飛び込めます。
メールアドレスも教えていただき、
有難い出来事でした。
当時は3G→4G携帯電話のサイバーアシストの研究、
コンシェルジュ機能を提案していたのですけれど、
プライベイトでは、
アルバイトとまだ就学したての吾子の事に加え、
父がお別れを予感させる入院をしていましたから、
思い詰めていたんです。
父のお世話をさせていただいている時に、
母とは不仲でしたから、
晩年困っていた事を携帯でアシストしてくれたら、
プライドの高い男性が、
私が駆けつけるまで、
周りに気兼ねをしないでそうっと携帯に相談出来て、
有益な情報を得られたらいいのに、
と思ったのです。
異例ですが私は父を亡くしてから転籍をしました。
修士の二回生で信じられない事です。
並列計算というコンピュータサイエンスでも花形の専攻から、
もっと人に近い半分アナログ的な分野へ。
亡くなって七ヶ月後に修士論文として纏めました。
それが今の研究室への舵を切るきっかけにもなりました。
しかし、やはり昨年、震災の後、
更に舵を切る事になります。
もっと人に近い所へ。
それが認定退学となりました。
おそらく過渡期だと思います。
私は命と真正面から向き合わないと、
学業に繋がらないようなのです。
人によって違いますが、
私は論文を一本執筆するのは産みの苦しみを伴います。
それまでの人生が言葉に、
アプローチに解法に見事に出るんです。
いま、子ども達に、
いま、子ども達を通じて、
考えながら走っている事、
感じながら倒れている事を繰り返した後に、
また、
書けるのだと思います。
自らの手で育てている強みが必ずある、と、
転籍した後に今の研究室へ、
橋渡しをして下さった先生に、
疲れはてて自分を見失ってしまった時、
厳しく優しく叱咤し諭し、
言っていただきました事が、
支えの大切な部分を一部担って下さっています。
そうして皆さんの元気玉。
諦めない。
腐らない。
投げ出さない。
最期まで。