今のところのそれにしようと思います。
映画『チキンとプラム』の番宣を見て繋がった気がしました。
私の従兄は、4年前の私の誕生日に自殺しました。
直接的なきっかけは、奥さんから言い渡された離婚宣言です。
けれど、間接的なそれが、幾重になった結果でした。
彼は、母性本能をくすぐる人で、やんちゃな人。
従妹の私には解らない魅力のある人だったようで、
女性の影を見ない日はありませんでした。
その彼が、唯一、本気で恋に落ち、最後まで手を出さず、
諸事情で、恋に破れた、女性がいます。
奇しくも、私と同じ名前です。漢字は違いますけど。
それが、繋がっていたと思うのは、オカシナ話かもしれませんが、
もう、そういう事にして、私の中におさめたいと思いました。
最後の電話の「大丈夫か?」と体を気遣う、
おそらく同じ病気であったであろう従兄の声が、
耳に、記憶に、残っています。
私に回復の兆しが見えていた矢先のそれ。
また、瞬時にうつに堕ちました。
まだ、どこかで信じられ無くて、墓前には行けていません。
現実のものとして受け容れられないんだと思います。
それでも、今年の誕生日まで、従兄の年齢に追いつくその瞬間まで、
「こんな私が生きていていいんだろうか」と思っていたので、
本当に錯乱しました。
けれども、時間と言うのものは、止まる事を知らないので、
今日の日を迎えています。
こうして、ブログを書いているのだから、
生物学上は生きているのだと思います。
けれど、ただ、それだけって感覚です。
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体を起こすことが、ようやく出来ました。
もう、普通だとか、多数だとか、流行りだとか、それらの定義だとか、
疲れ切りました。
ニュースもテレビ番組にも疲れました。
自分に、必要最小限の音で、過ごしています。