2007~8年くらいに戻った感じ。
今年の冬は特に厳しくなりそう。
だからこそ真摯に丁寧に向き合って、
内面を磨く季節にしていきたい。
冬の間に力を蓄えて。
それはずっとして来た事。
さっきのブログ、一見悲愴に映るかもしれない。
だけど、子どもでありながら、
もう1人の変に腹の据わった自分も居て、
親を、弟を、どこかしら冷めた目で見ていた。
確かに辛くて大変だったけど、
お医者さんは、よくその状態で生きてこれましたね、
(理解されなくて孤立感から自死する人が珍しくない、という意味。)
それが自分を強くしてきたという意味では、
あの幼稚園児だった自分は、
少しは何が身に付いたかもしれない。
長い時間かけて着けてきたそれ。
確かにうつ病にはなりやすいかもしれないけれど、
この粘着気質がどうにか人生を手放さなかったようだ。
それに私は人と同じ事をするのをやはり特徴から、
余り好まないようだ。
従兄の自死は確かに周りを震撼させた。
私も狼狽し、錯乱した。
それでも私には、当時、僅な額だけど、
予算という名の、
スポンサーがついていたので、
成果(採択してもらうレベルの論文を書き)発表する事をやり遂げた。
パニック発作がおさまっていない中、
頓服の安定剤を飲んで、
自分を気絶させておいて、
宮崎行きの飛行機に乗り、
向こうで暫くぶりの先生や先輩方とご挨拶をし、
徹夜をし無事会議を終えて、
その余力でインスピリッツの御披露目を応援しに行った。
従兄はある意味、
子ども2人の責任を放棄して旅立った。
伯父と奥さんと奥さんの実家が頼れたから、
後を任せる事が出来たから旅立った。
そもそも親戚の中で唯一バブルの時に驚くほど上向きになった家。
ブランド物を浪費していた。事実として。
計らずもそれが従兄を安心して旅立たせる環境となってしまった部分は否めない。
そういう意味でも、ひとり親に自分を追い込み、
勉学に倒れるまで邁進していた自分と、
周りの環境の貯蓄があったんだと思う。
研究者の卵、人と同じ事をしてどうする。
それが一番生き恥じ。
だから、従兄への理解が、すぐ近い人間になく、病院に連れて行って無かったと解ってショックで仕方なかったけど、
従兄の事は私の誕生日の直前に苦しくなって、半分錯乱してしまうのは、
きっとまだまだあるだろうけど、
同じ事はしたくない。
でも、息子を連れて行ったのに、
京都リサーチパークの吹き抜けが目に入って、
ふ、と、「楽になる?」と内なる声が自分に囁いた時には、
自分で「え?」って、驚いた。
色んな自死があると思うと、
上で書いた事に自信過剰にならず、
やはり真摯に向き合って、
担当医にそう思って驚いた、と正直に伝え、
まだ暫くはフォローして貰おうと思う。
素直になって。まな板の上の鯉になって。
そういうコツコツがいつか実を結んだら、
また桜を愛でる事が出来るかなぁ、
今よりもっと外に出れたり歩いたり、
自然から発せられる空気を胸いっぱいに、
吸う事が出来るかな。
大いなる自然に胸を借りて、
安堵して深い呼吸をいつか。
さすがに今日はキツイのを通り越して、
また全身痺れています。
ごめんなさい。
吐かせてもらって、
力を貸してくれてありがとう。
みなさんの元気玉が、
娘をあんな状態の中、
無事で戻らせて下さいました。
ありがとう。
本当にありがとう。
ただ、ただ、感謝です。
よこしま☆