(画像は記事とは直接関係ありません。)
今日も神経がはりつめた1日。
もうクタクタでクタクタで。
「ひとり」になりたくてなったんじゃない。
自分には「ひとり」しか用意されてなかった。
今日は息子が学校と連絡する様子を横で聴いてた。
会話の様子から決して孤立はしていないと解ったのか、
やっと安心して寝ました。
娘も、もうとっくに忘れた数学と化学の話をし出して、
横にいてwikipediaで調べて思い出してあーだのこーだの。
簡素な夕食を用意して、
ジャニーズの特典DVDをねだられて、
動けないから自分で買いに行ってもらう事にして。
お願いだから2人仲良くして欲しいとお願いして、
横になってます。
小さい時みたい。
前にも書いたけど、
私の両親は色々有りすぎて、
お願いだから喧嘩しないで、と、
いつも割って入って飛ばされて、
いつも無力さを感じる子どもでした。
私には3つ年下の弟がいます。
彼は幼すぎて、怯えるだけで、
私は弟を守ろうとも思っていた。
幼稚園の年長の時には、
毎日弟を連れて何処かへ行こうと考えていた。
けれど蓋を開けてみれば、
きょうだいの末の両親は、
共感しやすいのか弟ばかりを可愛がった。
いつからか父があまり帰らなくなり、
母は余計に弟を可愛がった。
自分の背丈を遥か抜かした弟を、
遅刻しそうだと自転車の後ろに乗せて中学校へ向かい、
電車に乗って行く母には少し及ばない私は放置されてた。
私は2月の末生まれ。弟は11月の末生まれ。
生まれた時も私は逆子で3日かかって、
弟は普通で1kgも大きく生まれて。
私の写真はカメラが買えなくて無かったのに、
弟の写真はカラーでたくさんあって。
私立大学の附属の幼稚園に入れてもらって。
時代だったのだろうけれど、
余りに差をつけられて、
質素に節約して成績を上げる事で、
両親に仲良くしてもらおうと思った私と、
怠惰でいくらお金をつぎ込んでもモノにしなかった弟。
なのに、そう頑張れば頑張るほど、
お姉ちゃんはしっかりしているから、
と、放置されて。
父があまり帰らなくなって、
生活費を父の会社に取りに行かされた事も何回かあって。
当時、振り込みが無かったから、
子どもにしては相当な大金を、
挙動不審にならないように気をつけて、
電車賃を渡されて。
ずっとずっとずっと、
神経がはりつめ、
小さな胸が張り裂けそうな日々しか無かった。
だから私は、
誰かにもたれかかって、
胸に抱かれて、
深い息をして、
寝た事が少ない子どもだった。
安心が無かった子ども。
何もしなくても、
出来なくても、
浪費しても、
それでも可愛がられる弟は、
母の胸に抱かれてた、
いつも。
今、障がいとは言え、
手のかかる弟が居て、
男の子の今時の集団イジメは、
命が直接的に奪われる可能性があるからと、
走ったけれども、
娘にはずっと辛抱をさせて来たと思ってる。
私が発達障害じゃなければ、
息子に遺伝する事も無かったろうに、
あの時の私のように、
娘に頑張ってもらう事も無かったのに…
ごめんね。
運動会も文化祭も私しか行ってあげられなかったし、
研究が忙しかった時は、
出番の時だけ駆けつける事しか出来なかった。
京都は古い町で、三代とか珍しくないから、
余計にひとり親で知人親戚が無い事が露呈されちゃったね。
だから、寂しいって、言葉にも、
過剰反応しちゃうんだ…
どうしてこうなっちゃうんだろうね。
一生懸命生きてるだけなのにね。
人様を押し退けたり意地悪したり、
していないのにね。
どうしてだろうね。
ごめんね。先に休むね。
動けなくてごめんね。