いつだったか、カシオペアのセミナーが音楽教室で案内されていました。
まだ中学生か高校生の身分で、受験があったのか、忘れましたが、
兎に角、自分のお小遣いでは手の出ない費用でしたし、
両親が、4年制大学に行かせたい事は解っていたので、
行くなら、音楽大学、で、しかも、名前の通った所・・・
とすると東京ですよね。
当時は大阪だったし、女性が自宅外から通勤すると、
採用試験に影響がある時代でしたから、
当然、ネム音楽院に行きたいという夢も、
潰えました。
当時のアレンジ譜、私も先生に習って書きました。
今の指導はどうか解りませんが、
私の習った先生は、ピアノの出身の先生だったので、
小学生のうちから、例えば、和声に関しては、
ドッペルドミナントへの関係を弾きなさい、
って言われてました。
東京で習い始めたので、てっきり出来ると思いきや、
大阪は梅田の真ん中のセンターだったので、レベルが高く、
最初はついていけませんでした。
小学校で指導グレードの練習(楽典)を始めていたんですから(苦笑)
聴音も厳しかったなあ・・・小学生相手に、先生容赦なし。
「はい!何度!!」「そこフェイクする!」「禁則どうしてするの!!」
こっわーいい。
カクカクした言葉がいっぱい!
ドイツ語だとか何も解らなくて、容赦ない専門用語に、
頭がクラクラしながら、
転調につぐ転調で鍛えられる。
クラクラクラクラクラ・・・目が回るぅぅぅぅ~☆
いつもの笑顔の優しい恭子先生じゃなーいぃ。
でもレッスンが終わったら、やっぱり優しい。
クリスマスプレゼントもくれます。
その先生にアレンジしてもらって、小学生でドラムを初めて叩きました。
前の年度の発表会で、同じクラスの年長の人が叩いていて、
「かっこいい!」と思ったからです。
アンサンブルになると、不思議な楽器、
いっぱい叩けます。
子ども達が散らばって、好きな楽器の所に行き、
「せんせー、これやりたーい」
「わたしこれー」
男の子、恥ずかしそうに、静かに楽器の所へ。
それらの楽器を使って演奏できる曲を、先生はアレンジして、
発表会用に作って来てくれました。
いっぱい練習しました。
いっぱい絆創膏貼りました。
マメがつぶれるからです。
でも、当時、ドラムだけは、小学生の高学年にならないと、
叩かせてもらえませんでした。
で、子どもなのに、選曲は渡辺貞夫さんの曲などでした。
随分背伸びしていましたね。
オーディション(コンテスト)に残るようになって、
他の教室の人や、ブロックの人と出逢って、
アレンジして弾いていたのが、カシオペア。
勿論、販売している譜面では物足りないから、
みんな、レコードから、直接耳コピして、
自分で割り当てして、音色探して、
それで弾いていました。
「作曲:野呂一生?」「え?素敵な曲。だあれ、だあれ?」って思って、
その子に訊いたら、
「ええええええ☆ カシオペア知らないの? (だっさー)」
みたいに言われて、慌てて帰り、紀伊国屋さんの中のレコードコーナーに行って、
「か」の行を一生懸命に探しましたねー。
でも、当時、見つけたアルバムジャケットはイラストだったので、
ご本人のお姿を知ったのは、後の事です(笑)
懐かしくて切なくて甘い想い出。
私がカシオペアと出逢ったのは、そんなカンジでした。
後はぐいぐい引き込まれていきましたねー。
80年代に入ってウォークンが普及したのも、
影響したと思いますよ。
針を落として、カセットテープに入れて。
カシオペアは大切だったから、
もちろん、メタルテープに入れていました。
あの時は、本当に耳がよくて、
3本1000円!とかのパック売りのテープと、
単品売りのテープの質の違いに、
同じラベルでも気付いたくらいです。
もちろん、単品売りのメタルテープ!!
えっへんな、日々でした。
そうして、学校に行って、まだ、アイドルを追っかけている、
クラスメイトにかつて自分が言われたように自慢したのでした。
「ええええええ☆ カシオペア知らないの? (だっさー)」
でも、その子はアイドルのおっかけのままでした(笑)
☆注:複数年度が交錯しています(笑)
まだ中学生か高校生の身分で、受験があったのか、忘れましたが、
兎に角、自分のお小遣いでは手の出ない費用でしたし、
両親が、4年制大学に行かせたい事は解っていたので、
行くなら、音楽大学、で、しかも、名前の通った所・・・
とすると東京ですよね。
当時は大阪だったし、女性が自宅外から通勤すると、
採用試験に影響がある時代でしたから、
当然、ネム音楽院に行きたいという夢も、
潰えました。
当時のアレンジ譜、私も先生に習って書きました。
今の指導はどうか解りませんが、
私の習った先生は、ピアノの出身の先生だったので、
小学生のうちから、例えば、和声に関しては、
ドッペルドミナントへの関係を弾きなさい、
って言われてました。
東京で習い始めたので、てっきり出来ると思いきや、
大阪は梅田の真ん中のセンターだったので、レベルが高く、
最初はついていけませんでした。
小学校で指導グレードの練習(楽典)を始めていたんですから(苦笑)
聴音も厳しかったなあ・・・小学生相手に、先生容赦なし。
「はい!何度!!」「そこフェイクする!」「禁則どうしてするの!!」
こっわーいい。
カクカクした言葉がいっぱい!
ドイツ語だとか何も解らなくて、容赦ない専門用語に、
頭がクラクラしながら、
転調につぐ転調で鍛えられる。
クラクラクラクラクラ・・・目が回るぅぅぅぅ~☆
いつもの笑顔の優しい恭子先生じゃなーいぃ。
でもレッスンが終わったら、やっぱり優しい。
クリスマスプレゼントもくれます。
その先生にアレンジしてもらって、小学生でドラムを初めて叩きました。
前の年度の発表会で、同じクラスの年長の人が叩いていて、
「かっこいい!」と思ったからです。
アンサンブルになると、不思議な楽器、
いっぱい叩けます。
子ども達が散らばって、好きな楽器の所に行き、
「せんせー、これやりたーい」
「わたしこれー」
男の子、恥ずかしそうに、静かに楽器の所へ。
それらの楽器を使って演奏できる曲を、先生はアレンジして、
発表会用に作って来てくれました。
いっぱい練習しました。
いっぱい絆創膏貼りました。
マメがつぶれるからです。
でも、当時、ドラムだけは、小学生の高学年にならないと、
叩かせてもらえませんでした。
で、子どもなのに、選曲は渡辺貞夫さんの曲などでした。
随分背伸びしていましたね。
オーディション(コンテスト)に残るようになって、
他の教室の人や、ブロックの人と出逢って、
アレンジして弾いていたのが、カシオペア。
勿論、販売している譜面では物足りないから、
みんな、レコードから、直接耳コピして、
自分で割り当てして、音色探して、
それで弾いていました。
「作曲:野呂一生?」「え?素敵な曲。だあれ、だあれ?」って思って、
その子に訊いたら、
「ええええええ☆ カシオペア知らないの? (だっさー)」
みたいに言われて、慌てて帰り、紀伊国屋さんの中のレコードコーナーに行って、
「か」の行を一生懸命に探しましたねー。
でも、当時、見つけたアルバムジャケットはイラストだったので、
ご本人のお姿を知ったのは、後の事です(笑)
懐かしくて切なくて甘い想い出。
私がカシオペアと出逢ったのは、そんなカンジでした。
後はぐいぐい引き込まれていきましたねー。
80年代に入ってウォークンが普及したのも、
影響したと思いますよ。
針を落として、カセットテープに入れて。
カシオペアは大切だったから、
もちろん、メタルテープに入れていました。
あの時は、本当に耳がよくて、
3本1000円!とかのパック売りのテープと、
単品売りのテープの質の違いに、
同じラベルでも気付いたくらいです。
もちろん、単品売りのメタルテープ!!
えっへんな、日々でした。
そうして、学校に行って、まだ、アイドルを追っかけている、
クラスメイトにかつて自分が言われたように自慢したのでした。
「ええええええ☆ カシオペア知らないの? (だっさー)」
でも、その子はアイドルのおっかけのままでした(笑)
☆注:複数年度が交錯しています(笑)