いつも拝読している、ま京さんのブログ(http://ameblo.jp/sawayakana-shosai/)で教えてもらいました。言葉を扱うから、堅苦しいイメージですか?違いますよ☆とてもウィットに富んだ、チャーミングなブロガーさんです。
まさに、今は、【呻吟】(しんぎん)真っ只中!!!! 驀進(ばくしん)ちうでございます!!!(←明らかに語尾のシンボル記号がミスマッチ^^;)
いっやー、辛いですよー。色々、急にあり過ぎです。
あのね、ブログを、ツイッター的に使っても、長文を書いても、その人のブログだから、一向に構わないと思うんですよ、。
アメブロもフレームワークを提供しているだけだと、個人的には思っています。これ以上は・・・
あ、そうだそうだ!思い出しました!!
あのね、私が言葉に興味を持ったのが大学院の社会人入試の時、持ったっていうより、持たないと小論文書けないよね(;^_^A
で、一冊本を買ったのは前に書きました。で、他にね、メルアドを交換した人がいたんですよ。
コラムニストに成りたかった人でね、知らない言葉で返信が来る。
「え? なあに? この不思議な言葉。 でもなんだか心地いいなあ。 知らないなあ。 調べてみよう!!!」ってんで、古本屋さんで辞書を安く買ったんじゃないかなあ・・・
で、調べて感動してね~・・・それから派生する(関連する)ページ数が記載されている辞書だったもんだから、それも一緒に読んでね。で、また返信して。
一気に語彙数増えたんじゃないかなあ・・・
それからだね、言葉からも像が浮かぶようになったのは。
知らない言葉に出逢って、調べて、感動する・・・たぶん人生の醍醐味、っていうか、味っていうか、
「まさに、そういうこと」とか「これは、そういうことだったんだ」とかの意味に出逢うと、
本当に心が潤う・・・。これも立派な、出逢いだよね。
今は、本当に、辛いです。虚勢はっても、無理しても、敢えてポジティブシンキングしても、
辛いもんは辛いです。
お医者様でも治せないもの、いっぱいあります。
そりゃ、そうだよね!お医者さんだけで何でも治ったら、他の職業や、人との関わり皆無でいいもんね!
この言葉との出逢いだって、人によっては、「わざと知らない言葉を使って、ひけらかしている」って取る人も中にはいると思うよ?
元のパートナーさんのお母さんがそうだった。辛かったなあ・・・まだ面白かったでした、しか、
感想文書けない時代だったのに・・・
でも、本当は、そういう人は、理由はどうでもいいんだよね。
つっかかりたいの。
事情がありすぎて、とってもヤキモチ妬きで、ともすれば刃傷沙汰になりかねない人だった。
つまり、大きな心の傷を負った人。
カーッ!!!ってなったら、見境ない。
そんな彼女でも、唯一の宝物は、元のパートナーさんだった。
元のパートナーさんに嫌われたく無くて、私によくしていたんだと思う。
元のパートナーさんは、お酒の癖はなかったけど、女性問題や、借金や、暴力はあった。
特に暴力は、一番女性を震撼させる。記憶に残っていないと思いたいけど、息子を抱いている時にあったんだ・・・
「あ、この人は、頭に血がのぼったら、赤子である吾子にも手をあげる人なんだ・・・」って思ったらある程度決まったね。(彼も虐待されていたんだけどね。)
で、また問題があって、決め手は、「お前と知り合って全部狂った。息子を返せ!!」って義母が錯乱?した。
もうダメだ、って思ったね。この母子はやり直さないと、イケナイ、って。
だから、裁判したけど、カウンセリングだったんだよ、向こうへのね。裁判という形のカウンセリング。
そういう意味では家庭裁判所を経て、地方裁判所にいって、審判員さんや、弁護士さん、いい人に出逢ったと思ったよ。
もちろん一回で出逢っていない。私知らなかったからさ、弁護相談の日に、30分5000円で相談してくれた人の名前控えて、個別に訪問したけど、商法専門とかね。
その時に、専門、って大切だなあ・・・見極めるための知識も大切だなあ・・・って。
で、収入が無いから、弁護士会館に入っている協会に、しかるべき書類を提出して無利子で貸与してもらって、
そうして担当になった弁護士さんは着手料だって、最低水準しか取らない。それでも私には高額だったから、
少しずつ分割してもらって、一生懸命返したよ?何年かかったかなあ・・・。
元のパートナーさんは「人は自分の話なんて聴いてくれない」という傷と、「高学歴や高収入の人は自分を馬鹿にしている」っていう思い込みがあったんだ。
私も私の父も、決して高学歴でも高収入でも無かったけど、彼らにはそう映ったんだね。
だから、近寄って、無心はするけど、偉そうな高圧的な態度取ってた。虐げる事が快感だったみたい。
弟は私と似ていなくて、180cmくらいあるから、弟が帰って来たら、無言でその場を去るんだよ。
生物学的なパワーを潜在的に秘めている人は怖いんだね。ほら、自分たちも暴力で支配されていたから。
だから、元の義母も根性論で、学歴や仕事に対して、「見返せ!」「がんばれ!」って育てたみたい。
彼は元の義母の世間への仕返しの道具になってた。哀しい現実だった。
だから、私、人にやってもらう人や、何かで支配して強いる人、
基本的には、どうも、受け容れられないみたい。
母も似ていた。父がいたから、父の生育とか、状況とか関係無しに、いっぱい求めたね。
祖父は徴兵されて、次男坊で、何も親から遺されなくて、
帰ってきたら精神的に異常をきたすよね。
戦争の現場に言ってたんだから。当時ケアの概念なんて、日本に全くあるわけない。
だから、元のパートナーさんのように、ある意味父を虐げていたんだ。
正論でね。子どもは4年生大学に必ず入れないといけなくて、自分で家を建てないといけなくて、
(ほら、父の顔を知らずして誕生した従兄のお母さん:伯母に実家を譲ったでしょう?)
他にもいっぱい決まり、っていうか、価値観ていうか。
東京に少しの間済んだときに、周りが省庁関係の官舎があったり、今の大御殿に移られる前の、
北島三郎さんの家があったりね。(息子さんとは幼稚園が一緒です。どーでもいいけど。)
感化されたのか、何なのか、大阪に戻ってくる時、本当に都落ちみたいなカンジで、
父を責めたなあ・・・ある意味男性蔑視だよね。
そうして、父につっかかってた。いつも。お金も父に無心をしていたカンジ。
父も女性問題とかあったから、正論をつきつけては、家に引き戻したね。
金銭的な事だったと思うよ。おじいちゃんが帰って来てからの生活は大変だったみたいだから。
だから父は、「大卒やったら、誰でもよかったとしか思えない言動がいっぱいある」ってこぼしてた。
その人を見ていない。その人の仕事や、そのネームバリューや、収入や、なんていうの?二次的な事・・・
私は・・・だからかな、窮した時にどういう言動を取るのか、そんな時にこそ、最後まで(直接的でも間接的でも)どう人をフォローするかを見ているし、自分の課題にもしている。
逃げ無い男性がいいかな。わずらわしいことも。
それが、もし、出来るヒトで、私にそれが向いていないとするならば、それを以てして結論づけたいと思うし、
なんていうかなあ・・・やっぱり、尻は拭かないとね。
そう思うよ。
そういう意味の、強い人間でありたい。
だから、息子の学校の話合いや、学校の他の先生の言動、結構評価出来る。
実に成るのはこれからかもしれないけど、すくなくとも、私を孤立させない。
「今は用事でどうしようもないけど、それが終わるのが、いついつですから、それから連絡しますね。」って。
先生、って、こういうアプローチだと私は安心するな。
異変に気づこうとしてくれる。異変に気づいたら、どうにか見つけてくれる。
そうしたら、せめて子ども達だけでも、救急のときは救って貰える。
そういう意味で、何かに、帰属する、というのは、素晴らしいことかもしれない。
名前のある処に帰属して、チーム作って、これから参入する人を排除して、残ったみんなで配当するようなやりかたは好きじゃない。
そうだなあ・・・生協(生活協同組合)的なアプローチは好きかな。
みんな傷、いっぱいあるんだもん。これ以上、つけたり、つけられたりしたくない。
だから、子ども達には、「自分が、どうしたいの?」って、自分の意見が出てくるまで待つよ。
ただ、世の中の制度がそれより短い区切りなんだよね・・・それを受け容れる器がないの。
困ったもんだね・・・・
さ、今日も、【呻吟】の日、行きますか!(←決して悲観的には捉えていないデス。)