昨夜はようやく何日かぶりに寝てくれた不思議君。御姉ちゃんも御土産を持って帰ると(家にしては高価だよぉ・・・)、喜んでいました。
親としてホッとしたけど、今度は自分が夜中にキツクて。いつまでこんな生活してるんだろう、って思って。
長いしね、仕方ないんだけど、仕方ないんだけどね。
寂しい、って、単なるひとり、とか、孤独とか、じゃなく、その人にとってあるはずのものがない、大切なものがなくなった、って感覚もあるんだよね。
埋まらないそれ。
でも、こうして、ブログも書いて来たけど、確かに私の中では事実であり真実なんだけど、
人にとっては信憑性が低いことになっていたり、むしろムカついたり、そういう捉えかたなさる場合もあるかもね。
私ね、養老先生の『バカの壁』の本、あの書き方って、なんていうか人を切り捨てるっていうか・・・
対象となっている人、決して呆れられたくて、そうしているんじゃないと思うんだ・・・
一生懸命に生きてもそうにしか生きられない人、それを・・・ってカンジ。
季節の下降線なのか、人生の下降線なのか、そういうカラクリだったのか・・・
なんか、もう、疲れちゃって、いろいろ。
私・・・あまり自分を保とうっていう思考がないから。
ただ、辛い。
それだけ。
もう、今日は、研究会、行かない、ううん、行けない。
上がって来ないよ・・・
ただ、堕ちるんだ・・・
本当は薬だって飲みたくないよ。いつまでも縛られているカンジで。理屈は解っている。それでも、
なんだか、医療の囚人みたいでさ。
不本意だよ?
だけど、今は、そうするしか、無いんだもんね。
踏ん張る、っていうか、耐える、っていうか・・・やり過ごすっていうか・・・
自分の中の、キラキラした本物、突然なくなっちゃったんだ・・・
昔、オジサンが会社の事故で亡くなった。従兄のお父さんね。従兄はまだ伯母のお腹の中。
4年前には、別の従兄が自分から或る日突然旅立った。彼の子どもは息子と同級生。
大学の大先生も、突然倒れられて、30分後には、搬送された病院から、もう戻ってこれない診断が下された。
震災も。全部事実だよ。ねつ造じゃない。
だけど、こう書くと、なんていうか、いつまでもネガティブみたいに言われる。
あるはずのものが、さよならする時間も無く消えるのも、また、辛いもんだよ。
さよならを言える人もいた。でも、言えない人もいる。
従兄の御墓には、まだ、足が竦んで行けない。
伯母たちは、そんな私の特徴をもう、知ってくれている。
父が亡くなって、49日の御勤め(ちゃんと毎週したんだよ、律儀だねえ・・・)終わって、さあ修士論文、ってとこで、
当時の指導教官は、留年を進めたんだ・・・たぶん、ゆっくり行け、って事だったと思うけど、
父の亡くなった後の、大人の揉め様が、もう嫌で嫌で。
生前の父は、「遺された人の拠り所。俺はそんな事(盛大で無理をする事を)してもらいたくない。」と言っていた事がある。
けれど、全部無視で、フツーのサラリーマンにしては大きいのをやっちゃって。母方の浄土宗のほにゃらら派?知らないけど、きょうだいがひとりずつ、お坊さんを呼ぶから、冠婚葬祭が凄いんだよね・・・。
それに対応できる地場があれば、いいけど、核家族でそれをして、もう、やつれてやつれて、倒れたね・・・
それからかな。喪失感と疲労とで、鬱病が始まっちゃったのは。まあ、傾向はあったけど、もう弁護士さんに心療内科どころじゃなく、精神科に、って提案されたの。
そう、あるはずのものがない。しかも突然なくなって、疲労すると、精神に来るよね。
それを、偏見されるんだ・・・で、同じやり方をされたり、ね。
もう・・・疲れちゃった・・・ほんと。
もう懐かしささえ感じるね・・・。
http://www.yamano-music.co.jp/docs/event/2011/07/01noro.html