ぼーっとして、ゆうるり断捨離:*:・( ̄∀ ̄)・:*: | ♪よこしま☆ちゃんの日常♪

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~ ゆるゆる生きる ~

さっき、御薬の効果が切れました。ショッキングな出来事が重なって、精神不安になり、これまた脳疲労につながり、更に精神不安・・・てな訳で、セロトニン受容体に効く、コンスタンを0.4mg、二粒飲みました。一回に「私に」許可されている使用量は、0.8mgまでです。

で、ぼーっ・・・としてブログの加筆修正をして、堕ちました。珍しく夢を見ました。お別れしたパートナーの夢でした。どうも記憶が絡まっているのか、結婚する前にその人が苦しんだ状況を、一緒にフォローしたので、今なんだけど(あれ?今いくつになったんだ?あ・・・結構なオジサンになっているね。どんな姿なんだろうね・・・夢では別れた時のままだよ。)、シチュエーションが未婚の頃のそれ、なんだよね・・・

いっぱい彼の心の傷と向き合ってた。それに間違いは無い。だけど、それが彼と彼のお母さんをとっても、メンタル的にも経済的にも擁護する事になっていってしまうとは、その時は必死すぎて解らなかった・・・。

今ごろね・・・そうだ!今ごろ、実家に押し掛けるようになって、実家に迷惑がかからないように、当時、住民票をそのままに、小さな旧い、昭和30年代築の団地に引っ越したんだった・・・。窓枠なんか木だよ。隙間風半端なかったな~・・・ちいさい布団で3人で寝たんだよ。

初めての夜、怖くて膝を抱えて赤ん坊みたいに泣いた。ひとりが怖かったのもあるけど、小さな私を頼りきっている、命を預かる重責に打ち震えたんだ・・・。小さな寝息が二つ。もう、戻れない。怖いもん、暴力はもう、子どもにも行っていたし。当時DV法なんてなくてね、私は両親のそれを長く見てきた。

それすら子どもには虐待になるんだ、って、子どもの憲章を見て、DVに詳しい弁護士さんに訊いて、やっぱり自分の生育も直接も間接もDVがあって生きて来たんだ、って思ったなあ・・・。

その団地が当選したのが今ごろ。逃げて父親に土下座して、「すぐ出ていきます。少しの間だけ置いて下さい。一度結婚したんだから、こういう形で戻ってくるのはワガママだと解っています。お願いです。」って。

事実、3カ月でそうした。勿論、大阪にパートにも出てきた。保育園もちゃんと送迎した。母は何故か「世話になっているんだから、家賃くらい入れなさい。」て言った。住民票を移せないまま、家庭裁判所にかかっている間、保育園の料金は、高額だった。パートをして、それに入れたら、残らなかった。

実家の1間を借りて、外で拾ってきた段ボールで棚を作った。そろそろ出来始めていた100円ショップでガムテープだけ買った、っけ。

父の建てた立派な家で、段ボール家族。子どものお弁当箱も買えなくて、タッパーに可愛いシール貼ってせめてデコレーションした。子どもはそれに何も言わなかった・・・

だけど母親は「世話になっているんだから、家賃くらい入れなさい。」と言って、子どもの御迎えも行かなかった。もう、父の事でいっぱいだったんだと思う。

保育園には頼めば送迎バスに乗せてくれる。お金が無くて申し込めなかった。「迎えにいってやるから、それを出せ。」そう言ったのは父親。もう、よろよろとした歩けなかったから、きっと実働は母親。

で、お迎えの時間に、昼寝をして、すっかり忘れて、大阪の私に電話が掛って来た。驚いた。父親も「孫の迎えの時間って忘れるものなのか?」と呆れていた。母に随分声をかけたらしいんだが、起きなかったらしい・・・で、保育園に連絡をするにも、通わせている保育園の電話番号を父は知らなかった・・・。だから、職場にかかってきた。

つまり・・・・人並み外れて両親は頼りないのである。父は仕事しか出来なかった。母もじっかのきょうだいで出稼ぎみたいにして、外からお金を家にいれて、きょうだいが家の事をしていたから、パートで働くしか出来なかった。

どうしてこの二人は結婚して、子どもまでもうけようと思ったんだろう・・・昔はおそらくそれが「普通」だったんだろうね・・・

てなわけで、私は、すぐ、実家を出たのでした・・・布団一枚からスタートした家族です。服がなくて、フリマで、それでもまけてもらって。

保育園で汚れたら服を貸してくれるでしょう?もう時効だから書くね。奈良の、学園前。そうお金持ちの地帯。子ども達が通った小学校は、山中先生の母校だよ。びっくりした。心無い人に「あそこの団地の子と遊んじゃイケマセン。」って言われてたらしい。子どもが時間に間に合うように早々に御迎えにいってたのに、遅刻するまで待たされた家の子どもが、自分は宿題もしないで遊びに来て、「だって、おばーちゃんも、おかーさんも言ってたもん。」って。”あ、そっかー。ごめんねえ、今、宿題しているから、先に外で遊んどいてー。で、遊んだらアカンって言われてるんやったら、来なくていいよ、悪かったねー。”って返した。その子、双子ちゃんで、実家に居る事をいいことに、シングルマザーになったおかあさん、遊び呆けていたんだよね。おばあちゃんに預けてさ。悔しかったなあ・・・子どもにムカついても仕方ないけど、そんな事を言われていたんだ、って思った。昔、私の母も似たような事を言った。私は気にせず団地の友達と遊んでた。決して広いとはいえない空間を工夫して生活している、その「技」を見るのが好きだった。子ども心に「へー、おっちゃん、凄いなー、やるなー。」って。そんな家の家族、仲が良かったりするんだよね。助けあわないと生きて来れなかったのもあるんだと思うな。


だから、お借りした服の方がブランドなんだよ・・・辛かったね。パン屋さんにも耳もらいにいって、食べるものなくて、家族みんな細っててさ。

で、不思議君、骨折しちゃって、パート首になってね・・・で、大切な子どもなんだけど、預かってくれる人がいないから、子どものせいで仕事が出来ない・・・憤りを感じてたけど、どうしていいんだろう、って。

そんな中、今では音信普通になっちゃった(彼女も今体調が悪いとは言ってた・・・)友達が、


「どうせ小さいうちはクビになるんやから、学校にでも言って、奨学金獲れ!!お金を貰いにいくから、休んだら怒られるねん。こっちがお金を払って通う分には、単位は関係あるかもしれないけど、クビには出来ない!!」って。

保育園に事情をいって、入試までは、預かってもらった。通知を受けて、それからハローワークにいって、認可の専門学校に行って。そうしたら、専門学校に通いながら日当が貰えた。そこで仲間になった人達もいっぱい人生をくねくねしていた。

個性的な人だったけど、みんな優しかった。事情があって、教科書通りの家族の人なんて、誰もいなかった。

そんなこんなが、全部集約しているのが、何故か今の季節、今ごろ。

何だか不思議だね。ほんと不思議。

体調悪いから、少しだけ捨てて、一つだけ小さな家具を動かしたよ。

断捨離も激しく出来ないからゆうるりね。

$♪よこしまかもしれない日常♪

CDを別の所に移しました。野呂さんのそれソロのものばっか(笑)SWEET SPHEREが出た時、子ども心に「これだ!!」って思ったもんね。以来、ソロのCDは全部あるよん。人様に提供した曲が入っている時もたまーに。土岐さんのもあるよ。カシオペアっていより野呂さんのファンなんだね。そりゃ、そうだ!!!「気に成る曲ばっかり・・・この野呂一生っていったいどんな人?」って。ミントジャムスまで本人の姿知らなかったんです。はははは☆音とか世界観とか音像から入っているからね。まあ、素敵な御兄さんだとは思ったけど、それより世界観が好きだったなあ・・・彼の紡ぎ出す音やその羅列や多重になっていく(アレンジ)が好きなんだよね・・・

あ、ちょっと脱線。

もともと、片付ける時に、それぞれの思い入れに浸って時間がかかっちゃう人だから(笑)、こんなペースでしょ。

この時期はね~・・・仕方ないんだよ・・・小さい時から下がっていく傾向にあったもん・・・専門医が出来て、診察うけるまで、ただ訳(理由)もわけらないから、辛いだけだったんだよね。

なぜか色んな事が起こる。変な不思議な人生。人様の何倍分をぎゅーってコンパクトにされてるのよ、ってカンジ。ま、いいけどね(笑)

だから、ちょっと休むだけで、さぼっているかのように錯覚するんだ・・・おじーちゃんが兵隊さんだったから、働かざるもの、だったと思うけど、私が知っているおじいちゃんより、御父さんの方が働いていたよ?実働時間とか内容とか事実としてね。

・・・変なの。ま、いっか。旧い話だ。