
また、ここ(京大病院)ですか≧(´▽`)≦はい~、そうでつ。だって、辛くなっても病院だもん。お家からゆ~っくり歩くと・・・あれ?時間計って無いや(^▽^;)

だだ~ぴろい。だから公園好きだよ。大阪にいた時は、大阪城公園駅から公園をお散歩して森ノ宮って駅から帰ったりもしたよ! 高校は万博公園(若い人知っているかな(^▽^;)の近くだったよ。えっと関西大学の中をウロウロして通り抜けて家に帰ってた。だから緑の多い学校が好き。
あれ?



いっぱい注意書きあるんだ~・・・でも全部あまり人の目につかない所にあるよ。面白いね♪

ふ~ん・・・やっぱり憩いの場みたい。今、近所で、京都では珍しく(規制があるからね)背の高いマンションが建設されていて、そこの人、ここにお弁当食べに来るんじゃないかなあ。で、お弁当業者さん?もい~っぱい縁日みたいに来るよ。お昼の予約時間の時通るから、すんごい!
あ、学校の正門前もすんごいよ~・・・働いている人や関係している人がたくさんいるからね。
だけど、一般外来棟はこの時間にならないと、人が多すぎて怖いんだ。だから、もっと明るい時間の時は、自分の通っているもっと西側の病棟に行くよ。もっと明るい時間で出れるって、もうちょっと元気な時期だから。
今思うとね、ライブもね、名古屋とか東京とか盛岡とか(!)悔しかったんだと思う・・・一体いつまで治療したらよくなるの?って。東京は誰かに明確な理由無く『凄いんだよ~』って自慢されて、盛岡は支援で。でも来年からは交通費を支援するかも。去年は野呂さん凄く緊張していらしたから、知ってる顔が釜石市に行く前に見れた方が少しは楽に成られるかな、っていう独自判断。遠くから有り難うって言って貰えて嬉しかった♪だけど無理してたみたいで、この時期に悪くなる事が判明。来年からは支援方法考えます…交通費で何か出来るとは最初から思ってた。
で、名古屋は…忘れた!とにかく釈然としなかったんだよ。
みんな口を揃えて、ゆっくり、って行ってくれる。確かに有難い。でも同じ病気してない人に言われても、それにうつだって個人差あるもん!って思ってた。
でもここまでゆりもどしすると、流石に考え直さないとね!
夏はもうオバサンで夏バテするんだから(京都の蒸し暑さハンパない!)、その後の東北って、しかも今年はお盆シーズンで、飛行機の早割も効かず…
なんちゅうスケジュールやっ☆って思ったけど悔しかったんだね~…出来ない自分が。
で、結局ムキになってたんだと思う。千秋楽には疲れきって、野呂さんに事もあろうか悪態ついてしまいました…ごめんなさい(野呂さんもお疲れみたいで、気づいてくれなくてスルーで握手もしてくれなかったんだようっ(T_T)
繊細な方でもあると思っていて、カシオペア3rdのドレスリハーサルが近づいていたから、何だか怖い雰囲気はインペリアルジャズからもうあったから、生来気の小さい私は、お気楽ギグに行っておこう、って、また無理しちゃったんだね~…
無理してばっか。不甲斐ない自分に腹が立ってたんだと思う。
小さい時から身体があまり丈夫じゃ無い上に早生まれで、何もかもゆっくりで、かたつむりんで。
母方のおじいちゃんは軍人さんで母親は丈夫。父方はあまり丈夫じゃない。そっちに似ちゃって、勝ち気な母親は歯痒い思いしたのかなぁ…
父も顔形が似ている私に期待したんだと思う…
いま思うと両親共に何かに抗うっていうか、理想をおうっていうか、何かあったんだね…
で、優等生じゃないと愛されないって思ってたし、事実『どこの親もよく出来る子どもやないと愛せないやろ』とは母親の弁。
これは流石にキイタ!推測が確定に成った瞬間!もう強迫的になっちゃった。
済んだ話だから書けるんだけどね。九月まで本当に博士課程に在籍してたんだもん。厳守してたんだね。それだけ私には親の影響は大きかったです。
だけど、ブログを通じて、そういう人生に自分で気付かないうちに疲弊しきってしまっている私に、お話してくれる人がいて、真剣に考えてくれて、色んな意見をくれて、
それをなんていうの?えっと・・・強い人当りっていうの?そういうのにならないような言葉を選んで考えて書いてくれる。
そうしているうちに・・・きっとそれが私にとって、甘えさせてくれる行為で、
「よく、頑張ったね。そうするしかそのとき無かったんだよね。」って言って貰えている気がして、
(ホントに?ホントに?)って自分に自信が無いから、何度もそうしちゃうけど、
でも、やっぱりそうしているうちに、
ふ、と、心が楽になることがあるよ。出てきたよ。
生きることに・・・力が入っていたんだね。
私の両親も、とっても、無理して生きていた。
特に、東京に居た何年かは、あまり記憶が無い。子どもだからじゃないよ。
「その年齢でそんな事まで頑張ってたの?」って事、多すぎたんだ。
今だから言えるけど、大阪から東京に転勤ってだけで、バカにされたもん。
親もそうされてたんじゃないかな。ほら、言葉や食べ物も子どもの方がすぐ慣れるから。
もう済んだ話だからね。でも記憶が無いんだよ、あまり。
怒られた記憶とか、怖い思いをした記憶しか、まだないなあ・・・。
三つ下に弟がいてね。お母さんお父さんの浮気で悩んで寝込んでいたからね、
幼稚園の年長とか一年生だったのに、弟の面倒みていたんだよ。
帰ってきたら喧嘩ばっかで。安息の居場所なんて無かった。
だから、ずっと、緊張して生きて来たんだな~、って。
頑張ることでしか跳ね返せなかったんだな~、って。
お母さんを苦しめるお父さんをいつか抜いてやるんだ~、って。
それでもやっぱり病気になったら辛くてさ、
他界した直後はしっかりしてお母さんを、って思ってたから、不思議と悲しくはなくて、
って思ってたけど、何年かしてから、ふ、ってなったり。
父の生い立ちもかなり厳しかったから、貧乏で学歴もなかったし、みんな両親を早くに亡くしていたしね、
だから、父をひとりの人間としてみたときに、
『貴方の人生は幸せでしたか?』って思っちゃうんだ・・・。
勉強の出来る子が好きだったから、お母さんを悲しませる大嫌なお父さんだったけど、
やっぱりそれでもお父さんだから、一生懸命勉強したよ?
それでも大学失敗しちゃってさ。
修士の学位記だけは、御仏壇に供えられたけど、博士は学位とれなかったし、
生きているうちには、褒めてもらえることできなかったと思う。
お人好し過ぎて、言葉をそのままとっちゃって、
『お前は、ホンマにアホやなあ・・・』って。
あ、ダメだ・・・父親の誕生月と、亡くなった月は、随分経ってからこうなるようになっちゃった。
御主人を身重の時に亡くした伯母のために実家を捨てた父。
頑張り過ぎは、どっちに似たんだろうね。
大好きで大嫌いで愛してて憎んでいる父親。
肉親、って、そんなもんかもしれないね・・・。
でも、似ているけど違うよ。
だって、私は私だもん。
あれ?何の話だっけ。
そうそう、気が楽になった、って書こうとしたのに、脱線したから、長くなったし辛くなっちゃったよー!
でも、今の解釈だから、長いけど読み物みたいに、楽に読んで下さったら有難いような気がします。
(2012.10.30 23:31加筆修正)