子どもが18と16になりました。私は何度も機能不全の家庭に育ちましたので、何処かに連れていってもらった思い出が殆どありません。
如何せん家族を放置して何処かのお姉ちゃんの家に転がり込むような人でしたから。
で、小さい時からそれをするので、父親の自覚がこの人にはあるのか?とずっと思ってました。
勿論、物心ついた時には女性問題、借金、暴力がありました。ビクビクして育ちました。
でも、自分の子ども達が18と16になろうとしているのに、どこでどうなったのか、なんともまあ、頭が悪いというか、自立していないというか自律していないんですね。
うまくいかないと全て自分以外のせい。よくもまあそんな幼稚で生きてるな、と。
つまり私が見せていた背中の真髄は何ら届いていなかったのです。愕然。
これにはかつて私が亡き父に思った事と同値かもしれません。物心ついて、ここまで周囲に気を遣っている近所の子どもも幼稚園の子どもも、いても1人くらいだっと思います。しかも機能不全なので、パッと見、解らないのです。それ故傷が深部に行き渡り少々厄介でございます。
そんな事を思う度、四歳で妹を生んだ母を亡くしただけでなく、その母の忘れ形見のような妹を父は献身的に面倒をみました。叔母がつい忘れてしまったお弁当。『おにいちゃ~ん…』って部屋に訪ねて来て分けてあげたそうです。
その妹は小学校の低学年で病弱で亡くなりました。医者に見せるお金が無かったのだそうです。
そう思うと、この甘えきった18と16の子ども達に腹が立って仕方ない。
きっとよくわからない名前の商売メインの学校にご縁がありそうな確率が高いであろう事を考えると、高校生になっても私に勉強を訊いて、しかも『え?これ授業の始めの5分間テスト?』と思うと、私は一体、何のためにがむしゃらに生きて、鴨川の橋の上でだけ男性社会の中、悔し涙を流して、遂には病気になってしまったのだろうと思うと…
思うと…
この子達がしっかりするためには、あまり長く生きない方がいいのかもしれないなぁ、と、六年前に思った事を、ふと、思い出してしまってみていたりするのです…。