だから休みます。

何度も立ち上がっては倒れて来ました。

休めと言われても休めない環境にいる方ばかりです。

私も例に漏れなくてそうして来ました。

だけどお陰様で子ども達は高校生に成りました。

欲を言えばキリがありません。

集団イジメを不登校を母子家庭で乗り越えて来ました。

もちろん数少なくはありましたが、必ずその人たちとご縁があると信じて、雨の日も風の日も諦めずに来ました。

そうしてようやく掴んだ今日です。

余りにシビアだったので私は神様から鬱病をもらいました。発達障害の二次的なものだという事でした。

でもそのお蔭で微細な子どもの窮状に気付く事が出来ました。


いつの世も子どもは親にとても気を遣います。どんな親でもその子にとっては愛する大切な親だからです。そこに打算も何もありません。ただただ親を愛しているからです。

だからこそ親は気付いて欲しいのです。でも気づかなくても気づけなくても子どもは表面こそ荒れはすれど親を無条件に愛しています。

だから子どもは天使なのです。

親の欲目やエゴの道具として子ども達が使われる事の無い様、願って止みません。


それとは別に私にもまだお役割があるように思います。

昨日ふとした事がきっかけで『いづう』の社長さんとのご縁がありました。京都で老舗のいづうさんです。お調べいただいたらお分かりかと存じます。

その後、福寿園さんともご縁がございました。有難いお話でございます。

若輩者には時期尚早な気も致しましたが、これがお導きという名前のご縁なのだとしたら、私の我は脇に一先ず置きまして謹んでお受けしたいと存じました。

こちらが本道に成りますのか、元なのか、はたまた両方なのか、まだ解りません。けれども先程申しました通り、子ども達もお陰様で高校生まで生かせていただいたので、これからの為にも私は少しお時間を頂戴しましたので、先ずは体を休め、心の風邪を治したいと存じます。

末筆になってしまいましたが、私の大学院での専攻は、『Web Search』と『E-Learning』です。師匠が明言して下さったので確かです。


私は人生における師を幼き頃からずっと探し求めていたのかもしれません。

ここでいう『師』は社会的地位がある人だけを指しているのではありません。関係なく奉仕の気持ちを大切にして凛と毎日を大切にしておいでの皆様、そう、あなた様も、私の師なのです。


本日もあなた様があなた様でいて下さり、本当に有難うございます。

大変申し訳ありませんが体調が芳しくございませんので休ませていただきます。


ありがとうございます。



なおかしこ。