改訂版:やさしくありがとう。 | ♪よこしま☆ちゃんの日常♪

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~ ゆるゆる生きる ~


ハロウィン・キャンドル、ありがとぅ・・・。

キャンドルの灯り、1/fの揺らぎだよね。癒される…。

もう、私の挙動不審な様子から、察して下さってるブログ友達さんも沢山お出でだと思うんだけど、

どうしても、どうしても、何をしても、立ち直れない事があってね、

何度もチャレンジしたんだけどね、もう自分を保てなくなってるみたいでね、毎晩パニック発作出ちゃうように戻っちゃってね。

もっとひとりになったほうがいいのかな、ブログも止めた方がいいのかな、って。追い詰められちゃった。

私は転居が多い仕事の親に育ち、自分もそうなので、リアルであまり人付き合いがないのね。核家族が多くなった世代の人はそうだと思うんだけどね。

でね、立ち上がれないから、もっと考えてね、自分を追い込む癖があるもんだから、『これはバーチャル(←ネットの向こうのリアルだよね。)も独りになった方が、つまり完全孤立した方が、本当の寂しさが解るかも…まだ追い込めきれてないからパニックが起きるんだ…弱いからだ…』とか昨夜思っちゃって。

モバイル握りしめながら、泣きながら、安定剤飲み過ぎちゃいけないから、ピリン系じゃない鎮痛薬で意識を遠くしたんだけど・・・。

もともと胃腸が弱いから、鎮痛剤、よくなかったみたいで、胃がとっても痛くて・・・。何やってんだか、ね(笑)

あ、子どもちゃん、無事登校したよ・・・。頑張ってお弁当もみんなしたよ。

でね、お仕事関係・・・あ、説明しないとね。

えっと、大学院は博士課程と修士課程があるわけですが、博士課程はもうアカデミックに行きます、って入学の時に覚悟して進むので、実質、学業というよりは修業っていうか、お仕事をスポンサードされて行う訳なんです・・・伝わるかな・・・えっと、個人事業主の卵ちゃんみたいなものなんです。

だからね、まだ残務がいっぱいあるんですよ。勿論、お母さんもするから、アナログ郵便も家事も育児もいっぱい、メールチェックもいっぱい。

一息つきにピグにきたら・・・。

ハロウィン・キャンドル。

・・・ありがとう。


私たちの世代以降、核家族当たり前、子どもも、もう、ひとり、って感じだよね。ご主人の仕事の都合で、転勤があって、海外だってあるもんね。そうすると、お母さん、って、親戚友達がいないところから、言葉の壁だって文化のそれだってあるのに、粛々と家族を縁の下で支えて孤軍奮闘しているんだよね、毎日。

それに戻る事を「寂しいと思うけど」って言われちゃってね・・・墜落したの。

そんな風に考えてたんだね、って解って。しかもね、とっても、憧れてた人に言われちゃったんだあ・・・。

長年頑張ってた、踏ん張ってた、何かが、聴こえない音を立てて崩れた・・・。

何をどう表現したそれなのか、全く解らない。ただ、そう言ったまま音信普通なんだよ。私はね、一生懸命、想いを伝えた。そんな風に見ないで欲しい、人と人との関係性はこんな形で断絶出来るモノじゃ無い、って。例を色々挙げて懇願したよ。

でも、仕事がご自身の中で大変なのか何なのか、スル―みたい。もう、訳が解らないんだ・・・だんまりなんだ・・・あれから。

時間が必要だと思うんだけど、私、小さい頃から、身内を看取るっていうかそれが多くてね、

自分の誕生日に従兄自殺で亡くしちゃったりね、同じ鬱病だったんだけどね、

で、一番最近会った時、その人痩せててね。単なる夏バテだったり、ダイエットだったりする分にはいいんだけど、ほら、変に心配かけまいとしたり自分に暗示をかける人だから心配でね。

すぐ無理するから・・・なのに何も解らない。

私は噂が大嫌いだから本人の声を待ってるんだけどね。本当に困ったさんだなぁ。あれは理解してもらいたいための懇願であって、突然だったから驚いて、だから怒ったとか叱ったとか、そんな次元じゃないのに・・・。

人は誰でも思う、勝手なイメージで見ないで欲しいって。だけど・・・イメージを保つのも頼って下さる人様へすることなのだとしたら、

愚痴のひとつもこぼさないで、それで自分を苛めぬいて、それでも人に優しい子たちが集まるから・・・

私は、その、仲間に入りたかったから、だからお話して欲しいんだけどね。

信用、なくなっちゃったのかな・・・。誤解、されたままなのかな・・・。

ちなみに娘はね、阪神淡路の震災の年に産まれた子なんだよ。1月だったよね。9月生まれだから同学年なんだよ・・・あの時、まだネット普及していなくてさ、

確かに今回の規模は凄いし比べるものではないけど、本当に報道も凄いなー、復旧速いなー、って印象。

そういう意味では教訓が多少なりともあったのかなー、あってくれたらいいね。

被災して、疎開して、そうして京大に来た子もいてた。曲がった線路の上を、危険を承知でみんな歩いて知り合いの所へいってね、

寒い冬だったから、炊き出し大変だったよね。震災の時に都会直下型だから火が上がって、炎をみるのが怖い人もいたと思うんだ・・・。

古着や毛布、暖を取るモノ、いっぱい送ったよ。今回は新品じゃないとダメとか規制がいっぱいあって、

あれだけの大震災なのに悠長で贅沢な事を言っているなあ・・・て思った。

もちろん従姉が西宮で被災してね、ずっと車の中で生活していて、皆で心配していたよ。伊丹の友達も居た。駅舎がつぶれちゃったよね。病院も。

透析が出来なくて大変な患者さんがいっぱい居たよね。亡くなった父は晩年透析を凄くしないといけなかったから人ごとじゃ無かった。

今は、京都に住んでいるけど、長く住んだのは吹田市の千里あたりだから、北摂の御友達みんなやられてね、

中には御父さんが建てた家だから、私建て直すって、結婚しないで働きづめで未だにローンを払っている同級生もいるよ。

そんな背景を持っている人、いっぱいいると思うんだ・・・でも、それは隠れてて、でも今回は東の方で東京がキー局だから、ブロードキャスト凄くてさ、

中にはそれを真に受けた人達は単純に「東京?凄い所なのよ~」になってる。何だか悲しい。ううん、悲しいなんてもんじゃない。

でも、そう思い込んでいる人に、いくら言っても届かないから、言うのを控えているだけだよ。

言っても耳に入らない、という行為で、傷つくからね。で、人は誰でも自分の中の正義が唯一正しいと思わないと保てないから。

あ、これは、先輩の哲学に詳しい人に諭してもらった言葉。今、言えないけど、東京だと小金井市にある研究施設の室長をしてるよ。怖い先輩だったんだよ。修士号ぶっとばして博士号取ったもんだから、それは凄かった。一緒に仕事して大変だった。心の傷に詳しいのはご自身がそうだから。

ほんと、みなさんに色々ある。だから、余裕がない、っていうのは、私は言い訳に過ぎないと思っていたよ。

余裕の器を広げる訓練を怠ったら、特に、先生という仕事をしている人や、人に夢を与える仕事をしている人は、それを応援してくれている人様に失礼だと思うから。

大きな仕事も小さい仕事も一緒。都会も地方も一緒。同じ目線、て言う意味ね。

これは今の大学に導いてくれた人工知能の大家の先生に一番最初にっこぴどく注意されたことなの。

「いいですか? 研究者も、御商売人さんと同じです。 八百屋さん、散髪屋さん、お菓子屋さん・・・変わらないんですよ。特別だとおもっちゃいけません。」

もちろんヒューマンインタフェースの大家でもありますし、御父様は有名な民俗学者さんでおいででした。あ、御父様の事は亡くなった時に知ったんだけど。そんな人。

他の先生にもいっぱいお叱りというかご注意を受けています。それこそノイローゼになるくらい。でも人間というものを理解する時に、それを通らずして、関わっちゃいけない、とも、今は思っています。

だから、だんまりとか、逃げたように見える形はどうなんだろうなぁ・・・。

なんていうかなぁ・・・そういう事をしたら、信じた心が結果として、弄ばれたり、からかわれたり、棄てられたり、飽きられた、って事にならないのかなぁ・・・。

心を大切に、と常日頃言ってた当人がそれを自ら率先して保身に先に回っちゃ、なんていうの・・・?

えっと・・・それとも、ちょっと待ってて?


だったとしたら、ちょっと、ってどれくらいなのか、おおよその目安・・・


思い出せ~・・・

思い出すんだぁ~・・・


う~ん・・・


兎に角、私も余裕が無いんだね。


ヤレヤレ。


最初から幻? もし、そうだったとしたなら、あれだけ最初に念を押した事を、やっぱり強引に乗り越えて来たんだから・・・、


でも・・・でも・・・でも・・・事情があるんだね、きっと。 言えない事情。

言っても、もしかしたら、私が納得しなかった事情。

だから、向き合えるその時、変わらず待ってるよ。 私は何も変わらない。 変わってないよ。


でも・・・先の事は誰にも解らないんだって。私には解らないけど、そう言うんだって。やっぱり解らないけど(苦笑)


だからそんな私をそうっと応援して下さる皆様が有難いです。


本当に有難う。皆さんのやさしさで私は今日を生きる事が出来ます。本当に本当に有難う。


皆様にとってよい1日であります様にクローバー