体、治さないと。治して感覚を取り戻さないと。決して無理して、自分を曲げているんじゃない。

そういう場所だからだ。老いも若いも男も女も関係ない。ましてや感情も関係ない。概念の世界に突入する準備をしないと。

しかし、それと、子ども達をはじめとする、命あるものに愛情がなくなるのとはパラレルだ。

どれだけ自分の中で、それぞれのマテリアルが独立をするか。

それぞれの独立性を尊重し、その上で、ゆるく関わり合うか。

どこまでも複雑でどこまでもシンプル。これらは二律背反ではない。

排他的でもない。むしろ排他的論理和に近いかもしれない。

よく、理科系というと、0か1のようにいわれる。2進数だな、いわば。

ではこの2進数の桁をうんと大きく取った場合は、どうだろう?

2の10乗でさえ1024だ。だったら、20乗は?30乗は?

みなさんのパソコン今スペック何Ghzですか?

これがCPUじゃなくてGPU(Graphic Processor Unit)なら、どれだけ描写が繊細で滑らかになる?

限りなく、同一ではないけれど、アナログにちかいデジタルだ。アナログをデジタルに近づけるんじゃない。

デジタルをアナログに限りなく近づけるんだ。

こうしている事は、本当に、ざっくり0とか1か?粒度をさげて所詮0と1にしよう。

されど、0か1ではない。0と1なんだ。

その誤解だけはされたくない。

誤解が多いから、メンタルが傷ついて、倒れる。

倒れるのは情けないと思うが、心が孤立して生きていける人間がいたなら教えて欲しい。

どうせ~だから、というレッテルを貼られ、それ以上興味を持って、そのジャンルを勉強することもなく、

体験してみることもなく、私を決めつけられちゃあ、たまったもんじゃない。

それこそ冗談じゃない。それが言いたい事。

いつしか体は衰える。動かなくなる。もっと動かなくなる。

けれど、ホーキング博士をお支えしている技術はどうだ。

その技術を取り入れているホーキング博士はどうだ。

愛情がない開発があったら、聴いてみたい。

アメリカAT&T社になった、ベルは、遠く離れている母親と肉声で話がしたくて、

電話というものを開発した。

ここに愛がないというなら、誰か私に教えて欲しい。

そういう狭い感覚だけで、一方向からだけで、私を理科系だと思うわないでほしい。

例えばこうして書いている文章、これを技術的に解析をしている。

この時の次元は、言葉の数、仮に語彙数が、2万だとすると、2万次元だ。

それぞれの語彙は全て独立だからだ。部分集合としたとき、たしかに依存関係や次元をコンパクトにする見方もある。

それはまた応用になるので、ここでは割愛する。

そう、割ることにだって、愛がある。これは少々こじつけか。

愛の形もひとそれぞれ。理科系の形もひとそれぞれ。

概念もひとそれぞれ。ただ、わたしは、概念を、概念を構成するマテリアルを、

言語とする世界に生きているだけだ。

画にすると、情報が落とされる。デジタルにしたときの色の数が有限であってしまうからだ。

もう少し詳しく人間応用例に特化して書くと、テキストであれ、画像であれ、人間が利用できる、

開発した構成要素が基盤としてあるとき、個人がどれくらいの要素をみにつけたかどうかで、

その次元数が決まる。

そう、理科系とかそうじゃないか、ではない。個人の能力と努力だ。

それだけだ。そうとらえると、もはや、理科系とかそうじゃないという切り分けは意味をなさなくなる。

どうでも、いい話になる。そうどうでもいい話かもしれない。

ただ、どうでもいい話に時に真剣になれるかどうかも、

もしかすると人間の魅力の一部なのかもしれないとすると、

悩む力だって、その人の素晴らしい魅力の一部なんだ。

だから、悩み過ぎて病気になるなんて、多少誤解があるだろうが、素晴らしく頑張った今じゃないか。

そこで、また悩む、つまり考え抜く特性を使って、自分の病気を向き合えばいい。

そいう言うタイプの人は、逃げるんじゃなく、かわすんじゃなく、

真正面から、真摯に取りかかる。

そんな健気な人間に、人が惹かれない訳は無い。

もう、甘いだけの夢は終わりだ。