あまりにも、ほんっとーにあまりにも酷かったので、
病院に急遽連絡して担当医に取り次いでもらい、
診察受けてきました。
『こういうお薬は、そもそも中断するものではありません。
これを機会にその誤った俗説を改めて下さい。
ちなみに僕も服用ずっとしていながら、
こうして仕事を続けています。』
と言っていただきました。
学友も多忙極まりなく、責任感が強い人の集まりなので、
精神疾患に成ることが多く、
個体差も含め物理治療には理解があります。
『機能上の問題やろ。負担の無い相性のいい薬で補完してもらい。』てなもんです。
本当は…そうなんだろうな…って思っていました。
私の家系で大学院、しかも博士課程に進学した人間は、私以外にはいません。
母はどちらかというと平均以下の偏差値の高卒です。
別段、その事自体は問題ではないんです。要は、
母は自分を認められずに、いるばかりか、
『家庭の事情なだけで本当は私は進学校に行けてたし、
そうしたら京大も阪大も神大も行けてたんや!』
って言う様な人でした。
京大も阪大も神大も、彼女の学友が進学校に行って、なお、恒常的に勉学に勤しみ、それで手にした結果。
それを、たられば、でずっと過去を引き摺る人でした。
一度、『そんなに大学にコンプレックスがあるなら、
みんなで家事を分担するから、
お父さんはそれなりに収入があるんだから、
一度受験したらいいやん。』
て父と弟と3人で言った事があります。
母は、『そんなん、今さら、出来るかいな!』とまた怒りました。
私が離婚して、仕事をしながら受験勉強をしていた時も、
『預かって貰えるからや。』といいました。
その割には、
『幼稚園と違って保育園は汚いからいやや。』などと平気でいう、
本当に困ったちゃんです。
いつだったか、意見が違った時も、ただ違った、それは互いが独立した人間である事を意味するのに、
『何やのん!ちょっと京大に行ってるから、って言って!ふんっ!』て電話をぶち切られました。
という事は、私は相手が目上であっても、自分がプライドをもつ領域については、
実績を以てして意見する、という大変大それた人間、という事でもあります。
でも、本当は解っていました。
母が父に大学に行かせてもらえば、
大好きだった祖父より父が経済的に優れた人間である事を認めざるを得ない。
父は差別される地域に生まれ育った人間です。
弟が生まれて父が会社から社員を守るための労働組合を立ち上げた時、
家に匿名の電話がかかってきてリークされました。
偏見の強い母が、それに耐えられるはずはありませんでした。
またそういう時代でもありました。
その侮蔑する人間より祖父が劣る訳がない。
母は父に扶養されながらも、何かと父を侮蔑する人でした。
だから、私たち3人の意見は母には素敵には見えなかったのです。
そんな母でも、やはり母は母です。その母や母に似た概念をもつ人から、
『どんな薬でも副作用があるから止めるように。』と言われ、
それをリジェクトしたら、あの日の母のように、それを信じて疑わない自分の親を否定された気がして、
ようやく掴んだ知識でしたが、一旦脇に置いて、服用を止めたのです。
気候の良い時期はなんとかもちました。でも今は他にも事情があり、もちませんでした。
そんな私の我儘を担当医や指導教官は、解っていながら譲ってくれていました。
私はそれを今日改めて知る事になりました。
これ以上の捨て身を禁じられました。
今日私の病気に対する、
時間の矢が放たれました。