表現方法が様々にあるようだ。

英辞郎 on the Web によると、

①光陰矢のごとし。/歳月人を待たず。
Time and tide stay [tarry, wait] for no man.〔ことわざ〕
②時は誰も待ってくれない。/光陰矢のごとし。
Time waits [stops] for no man.

Freddie Mercury は②の表現を使って、no manをnobodyに替え、ここでは、Time waits for nobody.と歌っている。

一方、かなりの直訳では、先日再始動した、CASIOPEA 3rdのArrow of timeがある。MCで野呂氏は、「光陰矢の如し」と言っていたので、この①か②で表現して欲しかったというのが、筆者の正直な意見。特に今月末にはジャカルタ@@インドネシアでの講演がある。英語圏の人にこの和製英語(もはやCASIOPEA自体が、固有名詞になっているので、同等の扱いとして、単なることわざをそのまま利用しては面白くない、という意味で、敢えて直訳表記をしたと思いたい。)がいかように思われるのかが気になる。

時間の矢。数学あるいは物理学的な表現、時間「軸」に注目したように聴こえる。この軸は何なのだろうか。人生をひとつの軸と捉え、それを表現したかったのではなかろうか。本人は、まだどこのインタビューやMCでもこの辺りの所を具体的に話していないので、何とも気になる所だ。

ちなみに、4次元目を当たり前に時間軸に捉える人が多いと思うが、これはしっかり概念(ここでは敢えて流派と言おう。)で分別されていることを明記しておく。幾何学では4次元目もやはり空間軸である。3次元目までを空間軸で取っておきながら、突然、全くそれこそ別ベクトル(律が成立しないという意味で書いた。)の時間軸を4次元目に取るというのは、全く以てして数学的には乱暴な話である。そういう意味では物理学は数学からみると、突発的な要素を含む学問であることを私見として加えておきたい。