どうも鈍感力がないらしい。 すぐ気にしてしまう。 何、って解らないけど、気にしてしまう。
そうして、自分は馴染めていない、っていうか、浮いている、っていうか、孤立した感じになる。
本来そこに名前を連ねたくて生きていた。 たぶん。 けれど、色んな事情でそれが叶わなくなった。
その事実を受け容れられない自分が居ることを知る。 現実は時に残酷だ。
コントリビューションしたくても、頑強であるが故に、いくら申し出ても黙示的に拒否されている事実は否めない。
本当は出来あがっているのに出来あがっていないフリ。
親しくないのに親しいフリ。
その反対も。
自分が信じられるものが今、無いんだと思う。
依存的に拠り所にしては危ないと思う一方で、 またそれが無いと虚無感に襲われて、 それがまた宜しくないと認知してしまう。
根無し草。 糸の切れた凧。 ・・・色々表現はあると思う。
けれど・・・好きで根無しになった訳じゃない。 好きで糸が切れた訳じゃない。
頑強な仲間を構築するために、疎外されたからこその結果。 あるいは、自分から身を引いた結果。
私は・・・人を押しのける素養が無い。
それはきっと・・・はじかれてばかりで、遠慮ばかりで、諦めてばかりで、そうして、そうっと生きてきたからこそ知る、 心の痛みのせい。
直向に一生懸命になるのも素晴らしい。 けれど、脇で泣いている人が居る事、 どうか気付いて欲しい。
だからと言って、何を、どう、って訳じゃない。 でも、知っていて欲しい。
道を譲ってくれた人が居るから、 アナタはそこに居られる事を。
価値があると言われる事を、 頑強な仲間だけでシェアする。
世の中ではそれを出来レース、 というのかもしれない。
でももしかすると、 その中に居る人も、 実はとうに知っていて、
今度はいつ自分が外されるのかに、 びくびくしながら、 一生懸命にしがみついている。
・・・それは・・・本当に、価値のあるものなの ?
人を押しのけてまで、 しがみつくものなの ? それ、 ほんと ?
ほんとなのかなぁ・・・。
なんだか、 よく解らなくなってきちゃった・・・。
「ナニ、 マジニナッテルノ ・・・?」 そういいたそうに、 カラスが啼いた。
たかが、 そういうことなのかもしれない。 でも、 されど、 そういうことかもしれない。
かつて、 わたしに、 「オマエナンカ ダレニモ イッショウ スカレナイ」 そう言った人がいる。
一般的には、 父親 と称される関係性の人だ。
彼は、 何を想って、 事あるごとに、 私にそう言ったのだろう・・・。
何を、訴えたかったのだろう・・・。
本当に云いたかった事は、 この言葉で包まれていたんじゃないか・・・。
ずっと、探している。
自分で自分を疎外しながら。