はまやんから、ミッキーのケーキもらいました

いただきマウス

ピグちゃん笑えました。
リアルよこしま☆ちゃんは・・・
残務がバタバタしています。
これでも色んな方面にお顔は知れているので、
平静さを保つのが宿題です。
それぞれの先生方を訪問して、
御挨拶申し上げる日が続きそうです・・・。
その緊張が、ふと、切れて、
・・・・
仕方ないです。
凄い経験、いっぱいしてきたんだもの。
普通の主婦が、あるひ突然論文書いて、(三日で書いちゃったんです←時効)
気がつけば、お台場の科学未来館でプレゼンしていました。
普通の主婦が、スーツ来て、始発ののぞみに乗っていました。
先生や共著の先輩が応援に来て、写真をいっぱい撮られました。
色んな大学の先生方が、興味を持って、質問してくれました。
一生懸命、回答しましたが、宙に浮いているような、もう一人の自分が、信じられないっていっていました・・・。
前日にダメだしされて、徹夜で仕上げて、子ども達を送り出す用意をして、
そのまま出て、起床時間になったら、新幹線の中から電話して起こして。
それが初めての学会発表でした。
書いてみると解りますね。
とっても、綱渡りな研究生活でした。
でも、御家庭や子どもさんを持ちながら、研究しているお母さん学者さんたちは、
家庭と研究の両立を、本当に綱渡り的に頑張っておいでです。
みぃ~んな辛くて大変だと解っているから、皆の前では贔屓に見られると、
互いにアンラッキーなので、表では本当に厳しい言葉しか賜りませんが、
それでも、その中から、様子をうかがって下さって来ました。
私は、未熟だったし、そんな生活だったので、本当に余裕がなく、
ただ、苛められていると思っていました。
でも、背景を御存知の皆さんだったので、早くに身を立てられるよう、
最高速の厳しい指導を賜っていたのだと思います。
それが、もしかすると、解ってはいたけれど、
子ども達にとっては、そんな事、関係なくて・・・いいえ、
子どもの同級生君たちには、理解してもらえるはずもなく、
子どもをまるで放置しているかのように、言われたりして、
私も子ども達も、世間は、本当に辛かったです。
それでもトップスピードを求められました。
早くに肩書をつけないと、もっともっと世間のストレスにさらされるからです。
けれども、やっぱり、それは多重の責務を負う事だったので、
世間のみならず、同じ業界でも、理解してくれる人は、少数派でした。
後ろ盾が無い、家事育児の協力者が無い、ということは、
こういう事だと痛感しています。
だからこそ、抗いたかった。
決して、親御さんに子どもさんを見てもらっている方の事を、
どうこう言うつもりはありません。
でも、素直に羨ましかったです・・・。
私は、窮していても、協力してくれる人はいなかった・・・。
だから、甘えて来なかったし、甘えられなかったし、甘える事が下手だし、
子ども達にどう甘えて貰っていいかさえ、解りません。
・・・そんな、綱渡りの生き方しか、
用意されていなかったと思います。
だからこそ、先に書いた通り、先生方は必死に尽力下さったのだけれど、
先生方の大きな愛は、私ひとりでは受け止められなくて、
私の親や親せきや知人や子ども達は、理解出来なくて、
孤軍奮闘でした。
で、理解出来ないのなら、そうっとしてくれていればいいのだけれど、
手伝いはしないのだけれど、矢継ぎ早の質問だけは止みませんでした。
それは・・・今思うと、白いカラスをつっつくようでした。
だから、病気になって、良かったと思います。
病気が私への矢継ぎ早の質問をする人達を、遠ざけてくれました。
最近、ようやく、静かにしてくれるようになりました。
やっと、やっと、静かに、自分の心の中の、芯の想いで、
自分のこれからと、子どものこれからを考えられる気がします。
でも、まだ、喪失感だけが、私の中では充満しているので、
だから、はまやん、ありがとう・・・
リアルよこしま☆ちゃんは・・・
残務がバタバタしています。
これでも色んな方面にお顔は知れているので、
平静さを保つのが宿題です。
それぞれの先生方を訪問して、
御挨拶申し上げる日が続きそうです・・・。
その緊張が、ふと、切れて、
・・・・
仕方ないです。
凄い経験、いっぱいしてきたんだもの。
普通の主婦が、あるひ突然論文書いて、(三日で書いちゃったんです←時効)
気がつけば、お台場の科学未来館でプレゼンしていました。
普通の主婦が、スーツ来て、始発ののぞみに乗っていました。
先生や共著の先輩が応援に来て、写真をいっぱい撮られました。
色んな大学の先生方が、興味を持って、質問してくれました。
一生懸命、回答しましたが、宙に浮いているような、もう一人の自分が、信じられないっていっていました・・・。
前日にダメだしされて、徹夜で仕上げて、子ども達を送り出す用意をして、
そのまま出て、起床時間になったら、新幹線の中から電話して起こして。
それが初めての学会発表でした。
書いてみると解りますね。
とっても、綱渡りな研究生活でした。
でも、御家庭や子どもさんを持ちながら、研究しているお母さん学者さんたちは、
家庭と研究の両立を、本当に綱渡り的に頑張っておいでです。
みぃ~んな辛くて大変だと解っているから、皆の前では贔屓に見られると、
互いにアンラッキーなので、表では本当に厳しい言葉しか賜りませんが、
それでも、その中から、様子をうかがって下さって来ました。
私は、未熟だったし、そんな生活だったので、本当に余裕がなく、
ただ、苛められていると思っていました。
でも、背景を御存知の皆さんだったので、早くに身を立てられるよう、
最高速の厳しい指導を賜っていたのだと思います。
それが、もしかすると、解ってはいたけれど、
子ども達にとっては、そんな事、関係なくて・・・いいえ、
子どもの同級生君たちには、理解してもらえるはずもなく、
子どもをまるで放置しているかのように、言われたりして、
私も子ども達も、世間は、本当に辛かったです。
それでもトップスピードを求められました。
早くに肩書をつけないと、もっともっと世間のストレスにさらされるからです。
けれども、やっぱり、それは多重の責務を負う事だったので、
世間のみならず、同じ業界でも、理解してくれる人は、少数派でした。
後ろ盾が無い、家事育児の協力者が無い、ということは、
こういう事だと痛感しています。
だからこそ、抗いたかった。
決して、親御さんに子どもさんを見てもらっている方の事を、
どうこう言うつもりはありません。
でも、素直に羨ましかったです・・・。
私は、窮していても、協力してくれる人はいなかった・・・。
だから、甘えて来なかったし、甘えられなかったし、甘える事が下手だし、
子ども達にどう甘えて貰っていいかさえ、解りません。
・・・そんな、綱渡りの生き方しか、
用意されていなかったと思います。
だからこそ、先に書いた通り、先生方は必死に尽力下さったのだけれど、
先生方の大きな愛は、私ひとりでは受け止められなくて、
私の親や親せきや知人や子ども達は、理解出来なくて、
孤軍奮闘でした。
で、理解出来ないのなら、そうっとしてくれていればいいのだけれど、
手伝いはしないのだけれど、矢継ぎ早の質問だけは止みませんでした。
それは・・・今思うと、白いカラスをつっつくようでした。
だから、病気になって、良かったと思います。
病気が私への矢継ぎ早の質問をする人達を、遠ざけてくれました。
最近、ようやく、静かにしてくれるようになりました。
やっと、やっと、静かに、自分の心の中の、芯の想いで、
自分のこれからと、子どものこれからを考えられる気がします。
でも、まだ、喪失感だけが、私の中では充満しているので、
だから、はまやん、ありがとう・・・
