大好きな言葉でタイトルに引用させてもらってきました。
ありがとうハナマルさん。
けれど、新たな気持ちになりたい、という事と、
可能性に今は制限を設けたくない、という意味で、
タイトルを抽象化させていただきました。
それと、色々ふさぎがちで不安定になってしまうのは、
もうロング・アメブロ友達さんなら、解っておいでだと思います。
私は、この歳でいうのも恥ずかしいんですけど、
親にとって、とてもいい子でした。
けれど、それは親にとって『都合の』いい子であり、親にとって『理想を実現する』いい子だったんです。
時に言葉で、時に力で、それに屈服するしか無い人生を送ってきました。
それ故に、それをしがちなコミュニティに足を踏み込む癖があります。
母方の祖父は軍人さんで第一線の人でした。
『働かざるもの食うべからず』それを地で行く人でした。
ならば、考えの違いを持つ人や、病人や、障害者は、食べてはイケナイのです。
働かない、のではなく、働けない人も食べてはイケナイ。
それは、つまり何を意味するか、と言うことだと思います。
何も言う必要が無いから、褒められた事がない、とごんたママさんは言って下さいました。
親の事を本人が愚痴っても他人がそれに加担したら宜しくない心情になるのは、
家族を持った経験があり、コミュニケーションが取れる人なら身についている処方です。
でも、それ、事実じゃありませんし、私の享け止めた感情ではありません。
親に絶対服従の母でしたから、私は母に絶対服従でないと、
お小遣いも全く貰って無かったのに、お弁当を作ってもらえず、
その状態で学校に行かなければならなかったんです。
父はそんな母の居る家に寄り付きませんでした。
そのくせ、私と弟を連れて出る勇気も覚悟も無く、
私は幼いながらに弟をどうしたらいいか、ずっと神経を張り詰めている子どもでした。
それでも弟は母似だったこと、父も末っ子だったことから、
私が見かけでは解らないように、家庭内で疎外されるようになりました。
それでも子どもにとっては家庭が命綱ですから、
親の意向に背いては生きていけないと解っていますから、
子どもは自分の気持ちを圧し殺して迎合してその家で育ちます。
大学受験、失敗しました。
どこも受からなかったんではありません。
父の知らない大学だったので、『どこや、ここ。知らん。』と、
合格通知と手続き書類を捨てられました。
母には『私の人生返せ!何故離婚しないでここまで来たのか解らないのか!』
と罵倒されました。『T君は京大、Y君は阪大、向かいのお姉ちゃんは大阪外国語大学(当時)、Nちゃんの御兄ちゃんは岡山大学。お母さんは恥ずかしくて外を歩けない!!』と。
私は、親を苦しめるしかない、外を歩いて貰えない、生きているだけで恥さらしの子どもなんだと、
そう思いました。
外見に対しても相当罵倒されました。母に似ず、父に似てしまった奥二重の目。
伸びなかった背。鍵盤楽器の先生かプロになれなかった小さな手。
どちらかというと色白でぷにゅ、ってしている肉質の身体。
すらっとしていないと、何故絶食してまでやせないのか、と罵倒されました。
・・・もう解る人は解ると思います。
高校生の頃、今で言う摂食障害が出ました。拒食も過食もしました。
もしかしたら統合失調の陰りも出ていたかもしれません。
自分を苛めぬく事で許してもらいたいと思うようになりました。
でも、今度は、それを気持ち悪いと言われだしました。
私は・・・・愛される、ってどういう事か、全く戸惑ったまま、解らないまま、
大人になりました。
相変わらず癖は抜けず、自分を苛め抜く事に、どちらかというと快感を覚える人です。
二週間完全徹夜。信じられます?出来ちゃうんですよ。
病院送りになってしまいますけどね。
でも、病院に連れて行かれるまで自分を追い込まないと、追い込んだ事にならないと、
頑張った事にならないと、そういう認知が刷り込まれてしまった人です。
これが生きる上で相当のトラウマ、というか、癖というか、認知の歪みと言われいる部分だと思います。
・・・で、どうするか。
まだ、解りません。距離を取った方がよくて、おそらく生き方や認知をシフトとうか方向転換をした方がいいのは、頭では解っています。
それを毎日の生活にどうグラウンディングさせるか、
どう癖をつけるか、試行錯誤とうか四苦八苦というか(笑)
そんなこんなです。
読んでいて不快に思われた方もいると思います。
ごめんなさい。
けれど、こうやって、言葉に出来るほどには回復してきました。そう思いたいです。
なんだかんだ言って(本当に大変な事実は書けませんが・・・苦笑)自分を育ててくれた親を、
事実だけど世間的に評判を落としかねないであろう事を考えたり、
人様に口外しては決してイケナイ事なんだとも思い込んでずっと圧し殺して来たので、
それを思えば回復してきたのかもしれません。
まだまだ時間はかかるかもしれない。そういうもんなんだとも思うし、
・・・と思えるようになっただけでも、昔の私を知っている人からすると、
『随分変わったね・・・いい具合に肩の力抜けてきた・・・?』って、
言ってもらえるかもしれません。
それか、『えっ!?』って言うかも。
シングルになって独りで子どもを育てながら学生をしている事実を知った、
当時の秘書さんが、
『えええええ。天真爛漫だから、そういうこととは一切縁の無い人だと思ってたー。』
って腰を抜かしたくらいですから。
『だって、よこしま☆ちゃん、って、ここに来る前女子大で修士課程に行ってた、
っていうから、親御さんに全部してもらって、お金もあって、
何の苦労もしていないと思ってた~!!』って(笑)
「え。これ、フリマで100円で買った服だよ。こうアレンジしたら、見えないでしょお☆
面白いよっ♪」って言ったら、眼をまんまるにされました。
そうですよね、その秘書さん、昔国際線のCAをされている人ですから、
超・超・花形のお仕事です。(昔で言うスチュワーデスって仕事ですね♪)
そんなでこんな私に、素敵な距離感で、それでいて変わらない愛情を注いで下さる、
アメブロ友達のみなさん、本当にありがとうございます。
まだまだ、へんてこりんな私ですが、そうですね~・・・、
戸籍上の歳を思えば、全然磨れていなくて子ども、というか、無邪気、というか、
素直過ぎて、昨日のエイプリールフールも全部ひっかかってしまったし(笑)、
まあ、そんな人です。
それらを大切にしていきたいのは変わらないですが、
追い詰め過ぎる事をどうにか回避できたらな~、ってなわけで、
小さい頃でいうと、『先生、あのね、』というノートに、
あの頃は、それでも書けなかった事を、
小さい愚痴の段階でぽつりと書けたらな~、って思います。
だって、私、聖人君主じゃないから、
著名な人のように、全てをポジティブに優等生らしく書けないもん。
それにネガティブが全て悪いとは思って無いもん。
それって最悪のシミュレーションが出来る、って事だから、
『待てよ?最悪でもこうだから、それよりは悪くはならないな。』って推測できる、
って事でもあるんだから。
てなわけで、気分一新!なのに、相変わらずダラダラというか、
ふにゃふにゃ、というか、なんだか掴みどころのないブログになってしまいましたが、
これが私なので、そんなこんなで、どうぞよろしくお願いします。
女子の都合でお腹痛いぞー!早くオサラバしたいぞー!
そう言えば、女子の都合の話も辛いのに、相当邪険にされたなー。
だから女子扱いされる事に不馴れで、どうしていいか解らない分、不思議な反応しちゃうと思います。
ごめんなさいです。
・・・の、よこしま☆でしたー。
あうっ☆
そして今日も横になりますぅ・・・
どんだけ弱っちぃんだようっ…
