☆たんぽぽの葉の裏と散りつもった桜の花びらの下☆

届きましたー

まずは一巡目(笑)

いきなりハートわしづかみっ!!

当たり前と言えば当たり前なんですけど、

それぞれに皆さん個人個人の『音』がちゃんとする。

幸せだーーーーーーっ

あーだこーだと書こうと思えば書けますけど、

そんな事より、まあ、聴いてみてください!

ってカンジ♪

ワンコちゃん一緒に歌い始めました

いやー、いいですねー

幸せ、ウットリ、元気、

もう、いっぱいの感情!!!

あ、野呂さんと天野さんだ

しあわせ、しあわせ

揺さぶられる・・・

だから、『感動』なんですよね、きっと。

もう幾巡する度ごとに、印象が変遷してきて、

それはまるで様相を変えてきていて、

自分の心の在り方も影響しているから、

そのうち自分と言うものが自分からなくなるまで聴きこみます。

そうすると、離脱というか解脱というか、

自分の魂だけがふわふわ浮遊してくる感覚になって、

音像が脳裏に映し出されてくるんです。

そうしたら、今度は、自分の持っている言葉のうち、

どんな言葉が適切か、壮大なパズルを創り上げるように、

ピースを延々とはめ込みます。

もし、自分がまだ持っていない言葉だけど、この感情や想いは、

どういう言葉で表わされるのだろう・・・と思ったら、

その言葉に辿りつくまで探し続けるし、

あるいは外に出て散歩してみるし、

とにかく一番フィットするまで穴があいたままです。

他の言葉で代替することはありません。

でも・・・『音像』というのは、音楽をする人の専門用語の様な気がしてきました。

野呂さんもブログで、和泉さんもTwitterで、

『音像』と書いていらっしゃいますけど、

よこしま☆語でいうと・・・

『音魂(おとだま)』なような気がします。

その音魂は全体として大きな纏まりで、

それが映像というか像となって見えるんだけど、でも、

よく見ると小さな粒の集まりで、

その小さな粒のひとつひとつまでも全部音魂。

数学で言うところのフラクタルhttp://en.wikipedia.org/wiki/Fractal
(ごめんなさい、日本語のページがありませんでした・・・)

やマンデルブロセットhttp://en.wikipedia.org/wiki/Mandelbrot_setです。
(ごめんなさい、これも日本語のページがありませんでした・・・日本のwikipediaダメだな・・・)

深く深く熟考しながらも、テクニカルに重心が行き過ぎることなく、

そこに映し出される『心』がUnique(ここでいうユニーク=唯一)、

つまり様相を含んでいるんだけどエッセンスを抽出するように、

シンプルになるまで音魂を読み取りたいと思います・・・。

それが私のしている事、したい事、自然と淘汰されて出てくる言葉。

とーーーーっても考えているんですけど、

それは決して無理をしている、というのではなく、

一般的にいうところの想像を思い巡らす、とか、

思いを馳せるという言葉になる、と思います。

これらは同時にとっても、強く感じてもいる、という事なのですけど、

臨界点になると、『降りてくる』っていう感覚になって、

その時の言葉が一番気持ちいいんです。

どうやってもどれだけ時間をかけても出来ない事もあれば、

ン十年前の事が突然纏まったり、

ものの数分で『あれ?もう出来ちゃった?』って時もあります。

不思議な不思議な魂の世界に行っていないと出来ません。

それでも、どなたの音に対しても自分の言葉が紡ぎだされるって訳じゃないんですよね。

それがまた不思議なところです。