しかし、約束だと考え直した。事務所の都合も理解出来る。しかし、たかだか独りのファン、しかも、平均水準より下の収入家庭を抱える人間が、

今使える権利を最大限利用したとしても、そこまでする必要があるのかとさえ思った。

いくら個人の事情でも、個人の事情は個人の事情。私は素人だ。それで収入を得るわけでもない。

けれど、向かう事にした。有言実行。ライブハウスの個人オーナーの徒労を、何度か足を向けるうちに、理解出来てしまったからだ。

言動に表れてしまうオーナー、そうでないオーナー、色んな方がおいでなのも解った。

今回のすぺいん倶楽部のオーナーは、事務所経由で予約したので、まだ、お顔もお声も事前に知らない。

そもそもの、私のスタンスとして、質問、という形で直接、事前連絡する。声や電話の応対の仕方で、その人が解る気がするからだ。

あながち昔からそれは外れていない。だからこそ今回は、諸事情のうち、この要因もあって、遠慮申し上げようとした。

けれど、仲介の事務所によると、『是非、行って下さい』との事。解るが、交通費で、それこそ義援できるのだ。

京都からの交通費で義援できるそれは、スーパーのチャリンチャリン募金の一体何回分に相当すると思うのか。

それでも盛岡のオーナーになんら過失も責任も無い。ましてや岩手は、今回、陸前高田の松を送り火で燃やせない、という京都の残念なことがあった。

再度取り寄せた松にセシウムが含まれていたそうだが、放射性物質は皮と葉に集中するのが解っているなら、どうにか出来なかったのか。

結局、千葉の成田山に預かっていただき、焚いていただいたのだそうだ。情けない。

民間に委託したのだそうだが、関西の大学の研究施設が沢山あるのに、ある意味無償で実験材料が提供されたと捉えれば、社会に還元するという意味では、素晴らしく役に立つ研究が出来るのに、

手をつけず、千葉に転送してしまった・・・大丈夫か?こんな思考で。

国立大学に帰属する人間は、震災後も身体を管理されている。当日は大量のメールで所在地と状況の確認に追われた。

そして、被災地へのボランティアに行きたくとも、厳格頑強な制約管理を受ける。必ず申し出て許可を取らないと、向かえない。

私大生ばかりが現地に向かった結果となった。休学である今、その管理を逃れていられる最後のチャンスであるとも解釈出来た。

向かいたいけど向かえない。守られているのか束縛管理されているのか、解らない立ち位置。歯痒い。

それもあって、向かう事にした。

$♪♪♪ FLOWERLY LOVELINESS ♪♪♪