なんだろう・・・?
そりゃ、何がしかの辞書を引けば、
何がしかの解説が乗っているだろう・・・。
そういう事に疑問を持っているんじゃないんだ・・・。
狭義のそれは、ソフトウェアで構築される疑似空間なんだろうけど、
広義にすると、
リアルにだって、バーチャルはあるよねぃ・・・。
パブリックなものが現実とすると、
プライベートは非現実、つまり、仮想・・・?
正室さんが現実とすると、
側室さんは非現実・・・?
男性が現実とすると、
女性は非現実・・・?
公道が現実とすると、
私道は・・・?
・・・疲れてきた 苦笑。 つまり、
んー・・・と、
理科系的(電脳と神保さんはおっしゃいますので、電脳的ともいうことにしています・・・
は、実は、電脳的には、
・・・と定義します。これによると・・・
あ、証明みたいだ・・・ブログでやだよ・・・^^;)
プラスがマイナスでマイナスがプラス・・・?
方向という概念が箍としてあるならば、
それをなくしちゃえば、
自由、ていうか、
いちいち、ピリピリ・キャーキャーいうことないんだよ・・・。
(別に浮気を推奨しているわけでわありません・・・)
昔は身分というのがあって(今でも潜在的にあるのだろうか・・・)、
それが箍となって、
悲恋、も、あったのだろうなあ・・・。
一緒に住んでいないと愛情は湧かないの・・・?
だとすると、旅立った人を想うことは、哀しい事なの・・・?
想いを馳せるだけじゃ、だめで、
実際にあって、リアルに情交しないと、だめなの・・・?
・・・なんか・・・変。
そもそも、心って、脳で思考するんだよね。
自律神経で制御されているから心臓が痛んだり、
胃が痛んだりするんだよね。
既知の知識ではね。でも、
例えば移植した人が、ドナーさんの記憶を受け継ぐ事があるというのは、
認知されてきた話だよね、だとすると、
細胞のひとつひとつに記憶があると仮定してもおかしくない。
とすると、
かなり飛躍するけど、
iPS細胞・・・の、記憶機構はどうなっているんだろう・・・?
私は近所には住んでいるけど、関係者じゃないし、
記憶機構となった途端、
実はシナプス系になるのだとしたら、
神経細胞系だから、えーっと・・・???
伝送とかの系統とも兄弟になるんだよなあ・・・。
理系が文系で、文系が理系。
理科系の人が書く文学、結構素晴らしいのを、知らない人は多い。
芸術家さんだって、構図や構造という概念は共通なんだよね・・・。
心理学だって統計学を使うし、
情報学だって心理学を使う。
だから、どっちがどうの、って、躍起になっている人いるじゃん?
(なんで関西弁じゃないの? 苦笑)
何を拘っているのかなあ、って、思うんだよね。
その拘りの種、って、なんだんだろう・・・。
思春期に影響を受けた、衝撃なのではないかと、
個人的には思っています・・・。
ほら、音楽でも、結構、お勉強の出来る家系の子どもさん達、
ロックにめざめちゃってたりするぢゃん・・・?
あれ、って、あながち、
自然なことだと、よこしま☆は思うんだよね・・・。
てことは、
みぃ~んな、結局、似たりよったりなんだよ。
そうだなあ、統計的に言うと、有意水準の中にしっかり入っているんじゃないんですか?
的な? 苦笑
個人的には3%にしてほしいけど、
これこそが拘りなんだろうね・・・。
小さい頃、親が多忙で、全く話を聞いてくれなかった・・・。
だから寂しくて勉強していたんだよ。
友達がいたら遊んでいたよ。
そう、自分は話を聞かない癖に、
「あの子には行ったら駄目、この子には相手されないと思うから駄目」
結局、幽閉されていたんだよ。
だから、なのかなあ、
その反動なのかなあ・・・、
同じライブがあると、無理してでも、遠くの知らない土地である、それに、
たとえ交通費がかかったとしても、
びゅーん、て行きたくなる衝動にかられるのは。
もともとは大人しいんだよ。
雨の日は、絵を描いたり(広告の裏だよ・・・苦笑)、
リコーダーで勝手に曲作ったり、
紙どれだけ小さく(細かく)ちぎれるかやってみたり、
何かを分解してみたり、
独り遊びをお金をかけないでやっていたんだ・・・。
人生において大金を稼いだ事がないから、
未知の世界なんだけど、
そんなに素敵で、なんていうか、
リアルだとはバーチャルでいうなら、
AR(オーギュメント・リアリティ)、つまり、拡張現実空間的な事が、
本当に起こるの・・・?
だれか教えてほしいなあ・・・。
沢山稼ぐ、って、自分に使う時間がなくならないの?
もしかして、
広告の裏に、絵を描いたり、
手元にある楽器で、勝手に曲作ったり、
紙どれだけ小さく(細かく)ちぎれるかやってみたり、
何かを分解してみたり、
・・・に興味が、無い、デスカ・・・?
なら、仕方ないですねえ・・・。
だって、興味がないんだもの。
・・・ん?
興味がわく基準はやっぱり、思春期のそれ・・・?
違うなあ・・・。
私にとっては、もっと小さい、
2~3歳の弟が御母さんのお腹にいた、
核家族の、
お父さんが仕事で家にいない、
時間だったなあ・・・。
お母さんと二人っきりの時間は、
弟がお腹にできるまでの昼間だったのに、
用事ばっかで忙しそうで、
そうだ!内職していて、手伝っていた記憶がある!!!
・・・そっか・・・。
あの、内職が、私の記憶の一番古い、コミュニケーションのそれ。
当時ナショナル(現パナソニック)の商品に、
プラの人形が付録でついていて、
それに油性マジックで色を塗る内職を母はしていたように思う・・・。
人形にも商品にならないものがあった時は、
好きな色で塗らせてくれたっけ。
母には画家の友人が居て、配色規則を知っていたから、
私の配色はクラシック理論では、やっちゃダメなんだと教えてくれたっけ。
子どもの私は、
「これ、お仕事じゃないし、遊んでいるんだから、関係ないのに、
どうして言うんだろう・・・?」と思っていました・・・。
当時は、婦人雑誌も買えなかったほど貧乏だったそう。
私の当時の写真もありません。
カメラが家になかったから。
・・・あれ?
何の話・・・?
あ、自分の起源に気付いた、という話・・・^^;
タイトル変えなくていいのかなあ、
ま、いっか、
それが流れ流れて、ここに辿りついたんだから。
この頃です。
縁側で、白いアコギで、音楽なんか、習ったことの無い父が、
記憶にある音を辿って、
全くの我流で、ポロンポロン、演歌をつまびいていたのは。
あの頃の父は、暴力をふるう父では無かった・・・。
・・・・。
思い当たる節がある。
いわれなき偏見にあって、会社を追われて、
転職をしてから、だ。
その偏見を母が真に受けて、
家庭内偏見が生まれたからだ・・・。
父は、
私と同じように、
自分が生きている意味や価値を、
意識してしまった上に、
誰かの何かの基準で迫害されて、
家庭内に居場所が無くなったんじゃないのかなあ・・・。
だとすると、
やっぱり、私の家が大変だったのは、
世間というか、あるんだか、ないんだか、わからない、
偏見がきっかけだったんだ・・・。
たかが箍、されど箍。
タイトル・・・合ってるぢゃん ^^;
整合性がとれた長文が書けて、
ニンマリしている、
よこしま★ちゃん、なのでした~♪
行ってみようかな、OBの飲み会。
オバちゃん浮くかもしれないけど・・・。
でも、そこに、
箍があるのかないのか、
観に行くという目的ならいけるかも。
ほら、そもそも、お試し好きだから・・・^^;
観察、実験、好きだから。
自宅で内職を見ていたように、
そして、
物心ついたときには、
広告の裏に、絵を描いたり、
手元にある楽器で、勝手に曲作ったり、
紙どれだけ小さく(細かく)ちぎれるかやってみたり、
何かを分解してみたり、
する子でしたから 苦笑。
最後までお付き合い下さって、ありがとうございました。
こっちからは見えないけれど、
たしかに繋がっているあなたへ、
ありがとう

よこしま★