我慢、我慢(長いですよー) | ♪よこしま☆ちゃんの日常♪

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~ ゆるゆる生きる ~

今日も朝からお屋根に登られました★

よぉ~く見ると、一箇所、穴があいた箇所があったみたいで、

緊急措置をして下さったそうです・・・。

『一体、何事!?』と思われたご近所のおばあちゃま方がお出まし。

『雨漏りしちゃって(;^_^A』というと、

ご近所のこれまでの雨漏り格闘話を教えて下さいました。

余りにお話を伺っていると、そのうちに、ちょこちょこ御自慢が入って来られるので(苦笑)、

そこはほどほどに・・・(ごめんなさい~★)。

でも、ホント、お勉強になります・・・。

トラブルって出来れば遭遇したくないですが、それをきっかけに学べる事が多いので、

嬉しい時が多いです・・・って、結構、Mですね~

そうそう、トラブルで言えば、お祭り。

よく、『厄除け』的に言われる事が多いかと思いますが、

別の説を知ったのでご紹介

『厄、つまり、多くの人が言う、災難に遭遇した時、

それを乗り越えるために皆が力を合わせて執り行う行事。』

という説です。

個人的に、とても感動しました

そうです、いくら頑張っても、限界があります。

だとすれば、回避する事ばかりに焦点を置くのではなく(時には必要ですが…)、

遭遇した時の乗り越え方を知ると、それが叡智になり、

自分の肥やしになるのではないか、と理解しました

てなわけで、よこしま★ちゃんは、結構、ラッキーという意味で、

ミラクルな事が起こりますが、それ以上に、普段は、

どちらかというと困難という意味でのミラクルに遭遇します。

理不尽な目に合う事もしょっちゅうです。

小柄でぼへーっとした顔立ちのせいか、

道を訊かれる事もしょっちゅう、

八つ当たりもしょっちゅう、です。

第一印象が良い人にそう言う事をされたりすることも多数なので、

傷つくことも多いですが、

『人は見かけに依らない』が正論だと気付きますし、

そういうお方は、短気なので、近しくなると遠慮も無くなるであろう事から推測すると、

こちらが悲しい目に逢う事ばかりになる事が待っているという事が理解出来るので、

『いま気付いてヨカッタ』『いま解ってヨカッタ』、

・・・という事になるので、そう悲観的にはなりません。

『継続は力なり』という言葉にも同様な意味が含まれていると個人的には考えています。

じーっ・・・と待ちの姿勢を貫いていると、しびれをきらした側が、

驚くほどの暴挙に出る事があります。

この手の方は、辛抱が足らず、また、他人のせいにもするので、

私はまたまた、『気付いてよかった』と思うのです。


同じ類いに『時間が解決する』というものが属するのではないか、と思います。

時間に身を委ねると、いつお逢いしても、どれだけ時間がたっても、

温和でいらして、色褪せずにおいでの方にお逢い出来ます。


同性異性、年齢問わず、憧れるに値する人となります。


それにはやはり、我慢や辛抱が御強い方が宜しいように思います。

そして、その努力をなさっている間に、洞察されています。

そういう方には、そういう機会が廻り合うように、なっている、と思えてなりません。

10年ほど前に亡くなった父が、生前、申しておりました。

『果報は"寝て待て"ではなく、"錬って"待ちなさい』と。

父は、某化粧品メーカ、○スティ○ーダーのビギナーズキットを、

最初に考案した敏腕営業事業部長だった人です。

現場主義の人でした。女性をよく観察し、どういう感情をお持ちか、

同性同士ではどういう振る舞いをするのか、熟知していました。

もちろん人事採用の責任者でありましたので、

企画立案をしたり、部下が引き起こしてしまった重篤なトラブル対応にも、

奔走しておりました。

深夜、遅くに帰った時には、既に寝てしまった母と弟に代わり、

面倒を見ながら、愚痴や説法を寝付くまで聴いたものです。

幼い頃からの習慣でした・・・。

きっと、息づいているんだと思います。私に。

幼くして母親を亡くし、妹を亡くし、末っ子でありながら、

唯一育った男の子だったので、たくさんいたお姉さん方(つまり伯母さま方)の、

子ども達や生活の面倒を見てきました。

大学2回生の時に父親も亡くし、大学を続けられなくなりそうになったとき、

育英会のお世話になったと聞いています。

今のお金で50万円ですが、私が小さい時は事業が失敗したりして、

経済的困難からお支払い出来ずにいたそうです。

母はそれを罵倒しておりましたが、ようやく父の居場所を見つけた担当の方は、

『よく、生きておいでになりましたね。』と言って下さったそうです。

そして、『返還出来ない現状を苦しんで、自責して、旅立たれる方も、

中にはおいでなのです。それを望んで育英会は貸与したのではありません。

なので、まずは生きていて下さい。そして御身体を治して下さい。

そうして、少し余裕が出来た時点で、少しずつ、身の丈に応じて、

返還して行って下さればいいんですよ。』とおっしゃったのだそうです。

母も、とても感動して、奨学金に対する認知の歪みを修正したそうです。

私は、そういう両親に育てられました。

生きているうちは、心配ばかり掛けていた私を、今、悔いています。

けれど、同時に、だからこそ、父にとっても所縁のある京都に、

導かれたのかもしれません・・・・・・。

所縁が縁故に変化するその時まで、修業したいという夢といいますか、

目標を持っています・・・。

辛抱や我慢強くないと、学業は修められませんものね。

やはり・・・来るべくして、ここに来たような気がします・・・。

久しぶりに、西田幾太郎先生の書籍を拝読したり、

哲学の道を散策してみようかなあ・・・と思いだしました。

いつも、この、新緑の頃に、そう想うから不思議です・・・