今日、娘が先生と懇談したそう。


別件で高校に電話を掛ける事がしばしばあったのだけれど、


その度に不安定な彼女を本当に心配していたと御理解いただいていたようで、


『しんどいかもしれへんけど、普段のストレスを。


丸ごと全部お母さんだけに吐くのはやめて、


先生とかスクールカウンセラーとか友達とかにしたらどう?』


と御意見を賜ったそう。



これまでに怖い思いをして、大変な人見知りになって、不安定になってしまった娘。

不可抗力と言えども・・・と、全てに対して負い目を感じていた私。

そう思い込む事で、そうしてもらう事で、免罪符が欲しかったのだと思う。

独り親にしてしまった事、私が病気になってしまった事、経済的に厳しい事・・・。

全部全部、実は私は完全に自分が悪いと思っています。



出来れば仲良くしたかった。生家の家族とも。

出来れば仲良くしたかった。姻族とも。


でも、完全自己正義主義とでもいうような母との関係は今もよくなくて、

姻族の義母も精神的成育が止まっているような人だった。


本当に踏ん張った、元旦那が借金をしようと、浮気をしようと、暴力を振るおうと、

全部許容して来た。

『全部お前が悪いからだ』を今思うと不思議な位に信じ込んでいたから。


まあ、このような人間なので、

娘が荒れているのも自分が悪いせいだと至らないせいだと思い込む癖がある。


やがて、パニック障害や鬱病を発症する。

娘の名誉のために追記するのですが、

彼女も幼い時から弟に手がかかるため、私の手を自分に対して煩わせない様にと、

我慢の連続でした。


・・・だから、甘えたいんだと思います。

八つ当たりという形でも、不安定という形でも、我儘という形でも、勉強を教えてもらうという形でも。


かれこれ7年もたっているようです。

今日ふと振り返って解りました。

無我夢中で気付きませんでした・・・。

彼女は5年で済みましたが、息子は7年目に突入です。

(そうです、不登校ダブルが5年です)


下の子は男の子なので苛めが身体に及ぼす影響の大きさに配慮したとき、

どうしても息子が先になって、彼女は後回しになっていました。

だから、だから・・・。

昔の私を見ているようで。

あの時助けて欲しいと言えなかったし、やっと勇気を出して言ったセリフは全く耳を貸してもらえなかった・・・。

一度や二度じゃない。

だから娘には同じ想いをさせたくなかった。


・・・で、途中から当然のように中年になり、身体が若い頃の様には動かなくなり、

パニックや鬱を発症。


子どもをある意味、さらに不安定な心理状態にさせてしまった、

スパイラル状態。


けれども彼女は頑張った。普通高校に行きたい。と真剣に願った。

学校に殆ど行けない。

塾にもなかなか馴染めない。

学びのパートナーという大学で心理学を専攻しているお姉さんが、

唯一の話し相手で、

彼女と話をするためだけに学校に行って、

家では付きっきりで勉強を教え、

時期を見計らって、背中を押し、学校や塾に向かわせる・・・。


遂に、新年1月の学力テストで進学校を受験できるレベルまで上がった。

頑張った!!!!



けれども、時すでに遅し。

内申点が殆ど無かったそうである。(後で希望者に開示された)

当日の得点も、『一発勝負で頑張らなきゃ』となって、緊張して思った様に解けなかったようす。


第二希望の高校に入り、同じように第一希望を落ちた子同士で、奮起し、

第二希望ではあるけれども進学クラスに継続在籍出来ている。



子どもは大人の鏡です。家でお母さんがポロッとこぼした愚痴が価値観になります。

偏見に満ちていたら子どもはその偏見がスタンダードだと思います。

あるいは自分が誰かと比べられて酷評されていたら、

辛くて家の外で誰かを同じ目に陥れます。


みんな、みんな、被害者。

訳のわからない優劣。縦構造。

偏差値だって、ちょっと専門的な数学の知識があれば、数ある偏差の中のうちの一つの手法で算出した偏差なのに、

それが絶対だと信じて受験する。


『標準』偏差です。


wikipediaで調べて見て下さい。いろんな偏差がある事にすぐ気付きます。


それでも、その社会構造の中で生きて行かなければならない不自由さ。


甘んじて受ける辛さ。


気付いた方が苦しい。


だから甘えさせて来た。


『ママは親バカです。でも親が生きているうちにしか甘えられないんだから、そうしていい。』と、

伝えてきました。



それは親が生きていても甘える事を許されなかった自分を救う術でもありました。


病気になるほど体力がなくなってしまって、本当に申し訳ない。



けれど、娘は、懇談で言われた事を、素直に話してくれました。

高校の担任の先生は中年男性です。


家には存在しない中年男性です。

お母さんに苦労をかけたお父さんと同じ年代の同じ性別の人です。


けれど、それを汎化しない、成長した娘がいました。



K先生、ご指導有難うございます。

そして、それを素直に聞けるようになったね。

心が大変だったんだよね。

思うように動かない身体が情けなかったんだよね。

理不尽な目に会って来たんだよね。



よく頑張りました。



ママが思う事はひとつです。


偏差値の高い学校になんて言って欲しいんじゃないんです。

あれだけの難産を経て息を吹き返したんです。

着の身着のまま逃げるしか無かった日があったよね。

その日食べるモノが無い日もあったよね。

平成なのに・・・ってママは思っていました。

すぐそこに手を伸ばせば実家があったのに、

筋を優先して突き放されたよね。

頑張って頑張って耐えてきました。



一番は、こんな、生きるのが超下手なママが連れて来てしまってごめんなさい。

あなたに会いたかったのはママです。

ママがこの世に連れて来たのです。

命を作ると言う、ある意味、一方通行な傲慢な事をしたのです。

ママは助かりました。

愛しい我が子を抱けました。

中毒症で命を落とさずにすみました。


けれど、病院を出てからの辛さは、酷いものでしたね。

だから、願う事は一つなんです。




健やかで。



ただ、それだけ。



勉強もアルバイトも、そんなに頑張らなくていい。

頑張り過ぎだよ。



ね。



ゆっくり行きましょう。



家族みんなゆっくりさんなんです。



無理しない。



自分に合わせた何かを一緒に探しましょう。


もし、自分で探したいなら、それもいいです。



あなたの人生はあなたのもの。



力不足な親でごめんなさい。


でも、出来る範囲で、諦めないから。


頑張れないかもしれなけど、諦めないから。


辛い時は感情を少し横に置いて、


よく休んで、


また、ぼちぼちと、歩こう?



美味しいもの食べて、好きなお菓子食べて、


無邪気な笑顔で笑ってくれたら、


それでいい。



大切なあなたへ。


ママより。