家族のケアがあるので、いつも、「出来れば飲まないでいたい。飲んでも最低量で済ませたい。」と努力の継続をしている人なので、
今回の体調とは、こういう相性で、こういう睡眠時間になった、と。
でも、深く息をする事が出来たみたいで、泥のような身体は少しはマシになりました。
意識が戻って来て、娘が塾から帰宅するのを「ふわぁ~い」と迎える事が出来てヨカッタです。
・・・と、その時に気付いたのでした。
私は受け取る側の人なんだ、と。
在籍している研究室の特性上、「プロジェクトの発案者になれ」「リーダーになれ」という訓練を求められますし、
そういうアプローチで接する事がスタンダードになっています。
それに必死ですがりつくように合わせていたんですが、
どうも私は人さまを押しのけてまで、という気質が欠損しているようなのです。
委託されれば、「僭越ながら・・・」「私のやりようしか出来ませんが・・・」とリジェクトする理由がなければお引き受けしますが、
自ら進んで「これがやりたいからこれをしよう!」と周囲を巻き込む事はありません。
「それ、なあに?面白そう・・・」と寄って来ていただければ、
「ご覧になります?」から始まって、もし、
「教えて頂けます?」となれば、
「これでよろしければどうぞどうぞ」という会話になります。
これらが一挙に噴出して、
『あー、私は受け取る側の人なんだ・・・』
と達観した次第です。
指導教官はそれを御叱りになりますが、昔から、
船頭がたくさんいると混乱すると申します。
研究室でも何かあるときは、まず、指導教官を一番に信用します。
統率される側の一員として、取るべき態度です。
これを、いつの間にか、それこそ、享け取れなくなっていました・・・。
おそらく、「プロジェクトの発案者になれ」「リーダーになれ」を表面的に捉えていたからでしょう。
リーダーにもいろんなタイプがあると思います。
自らが発想して切り拓いていくタイプと、傾聴し意見を纏めて民意に沿った中で向かうべき方向を探し出し導いていくタイプと。(現時点ではこの二つのタイプしか思い浮かばなかったので、あえてこの二つを列挙しました。)
「御引享けする」という行為は、単に丸投げではなく、行動をしながら思考する、また思考しながら行動をする、という双方向の所作が必要なので、
相当エネルギーがチャージ出来ていないと実現は難しいと考えます。
そういう意味の、受容あるいは享受。
そういう意味の、ネガティブ。
そういう意味の、凹。
土台がしっかりしていないと享け取れませんね。
なので、基礎をコツコツと地盤を固めるように、オーソドックスやスタンダードといった、
一見、華の無いように見える地味な事を実直に行う事に専念したいと生きています。
私の本名には「華」という字が入っています。
ずっと、名前の意味を考えてきました。もちろん親がつけたので、親の想いは聞いてはおりました。
けれど、どうも私の性質とは似つかわしくないので、不思議でたまらなかったのです。
表面的な華やかさではなく、滲み出る華やかさがあるのだとしたら、
どうぞ見かけは地味だと見ていただいて結構です。
と、言いたくなりました。
一体、どなたにそう言いたいのかは、まだ解りません。
けれども、それが、一瞬にして、まさに「ぶわっ」と噴出したので、
大変もうしわけありませんが、
自分の為に書き記したいと存じます。
最後までお読みいただいた皆様、
私の思考の整理に御付き合いいただき、また御力を貸していただき、
本当に有難うございました。

