昨年末、何を思ったか、新聞をとりだした。
もともと機械ものが好きで、コンピュータサイエンスにとても興味があった。
経済的事情で理学部に進むのだけれど(理論は数学だ!と思ったので折衷案…私学でも理学は実験が少ないから学費が安い)、
やっぱり通信システムや論理回路などは好きだ。GUIもいいけれどCUIが好き。
センターコンソールなんか見ていると飽きない。
自宅は携帯やインターネットが中心。そして光は勿論導入済み。
大学はもっと速いですよね。ところどころ専用線なんだから。
余談はさておき、その私が新聞を取ったのだ。
老眼が進んで目が辛かったのもある。けれど、専用線からパケットになって、OSIからTCP/IPになって、
企業間通信からパソコン通信、そして携帯電子メール・・・
誰でもが情報をアップできるようになったため、かえって統制が取れず情報が乱立しすぎている事そのものに、
うんざりしてしまったのだ。
特権階級の人にしか出来ないのなら、その「人」と普段からコミュニケーションを取って、話がしやすいようにしていたように思う。
今は、データだけが飛び交う。別にデータに罪はない。けれど、必要な時に必要なだけ、突然言われても、
人間なんて「アナタ、ドコの、ダレ?」みたいに思うわけです。
だからこそ、今、データ主導のネット社会(と敢えて書く)にあって、
著名な人・・・もっと解りやすく言うと、テレビの露出が多い人気のある人の一声で、
それを閲覧している人が動くのである。
けれどもその人が若手だったり家庭を持っていなかったり、もう既に貧乏から脱出していて、
苦しい人の感覚から遠ざかってしまっていたなら、どうする?
そう思ったので、敢えて、アナログである新聞(しかも地方紙)を取った。
これなら地域密着型なので自助になる。
医療でもまず、自助、そして扶助、そして相互扶助・・・という段階がある。
生きた感覚が大切、大域的なのもいいけれど局所的なのも並行して知っておきたい。
数日前から、旅客機の空路とあきらかに違う空路で何かが飛んでいる。
ヘリではないからおそらく自衛隊であろうと思う。
報道されていないものがたくさん。
だから私は自分のブログで書く。
自分が気づいた事。
少なくともテキストだけれどネットに書き込む手段を手にしているんだから。
否定はしない。
けれど私のスタイルとは違う。
だた、それだけ。