「お疲れ様」の使用用途に関して、
コメントを出されたので、
それをきかっけに少しの間メールをやりとりして、
意見を言う機会に恵まれました。
萎縮する事はないけれども、
でも前提として先方に失礼に当たる事はしてはならず、
この双方を実現するためには、
正しい言葉の意味と、その用法を知る必要がある、
というアドバイスでした。
この方とは、出会ってすぐにコミュニケートする機会に恵まれたのですが、
思考が著しく違う集団の方々から、
異性だった事を理由に議論している事を理解されず、
感情からそれは来ているとという、
陰口を叩かれてきました。
行動で威嚇されたので、既に陰口ではなくなっていました

あれから五年(もうそんなになりますかー・・・)、
そろそろほとぼりが冷めたと考えたので、
その事も正直にお話しました。
その上での議論。
安心に繋がりました。
繋がるものはいつか繋がる。
チャンスは奪われない。
そのチャンスがくるべき時は、必然の様に用意されている。
そう思える出来事でした。
「繋がる」ということは、私の中では「相互理解」という認識です。
肉体のそれよりも、精神的なそれの方が、
私は必要としていて頑強なのだと明確になりました。
仲間がいた・・・んですね。
そう思えました。