大学から逃げた。
追い込まれても追い込まれても逃げた事なんてなかったのに。
けれど、時には距離を取る事は必要なのだと、
後で知る事になる。
それを経て、物理的に距離を前後に調整しなくても、
3次元的にかわしたりすかしたりする事も出来ると解るので、
結果としてこの状態は良かったと思う。
それに気づくまで相当の時間を要した。
そして当時の自分にはこの技が無かった。
きっかけはある国際会議。
指導教官から、
「担当委員が近しい人だから贔屓してもらったように思う。
だから今回は流した方がよい。」と注意された。
焦っていたので聞けなかった。
3年で学位を取らないとその先がない。
けれど家庭の事情が相当大きい私の背景を考慮すると、
この状態は、無理に無理を重ねていたものだった。
その認知が出来ないくらい正常では無くなっていて、
理解できず、半ば強引に国際会議に出席するという形になった。
今思うと、当時の論文はデータ工学分野に投稿するには、
厳密にはジャンルが違ったと思う。
子どもたちに取ったアンケート結果という、
データというにはあまりにチープ過ぎて感情的な要素であるものだった。
そもそもどうしてその研究をしなくてはいけなかったのか、
解っていなかった。
いや、解る筈も無かった。
自分で見出した研究テーマではなかったから。
自分の発想する事を中心に進めるスタイルだけが研究だと思いこんでいた。
別の先生から言われた事なのに、影響が大きかった。
自分が未熟だから出来るだけ貪欲に多様なジャンルを採用しないと、
と考えていたけれど、
ただでさえ未熟な状態なのにこれは実現しようも無い。
それに本当に責任の範疇を考えたら、
他の研究室の学生に対して、節度をもった対応をしないとイケナイのは、
教官が先であるべきなんだ。
押し付けはイケナイと本当に言うべき相手は、
私ではなくて、本来私の教官に対してだったのだと思う。
その先生にとって私の指導教官は先輩にあたるから。
それにかつてその先生に出会っていたのに、
今の研究室になぜかスッと決まってしまった。
お礼をしっかり述べたのだけれど、
当時は先生のお怒りが収まっていらしゃらなかったのかもしれない。
それにそれに、
これは私の一番考えを改める部分なんだけれど、
自分より年長者全ての人が自分を本当に親身になって考えてくれ、
そしていつでも完璧であると思い込んではイケナイ。
いや、無理に思い込もうとしてた。
顔を無理に立てすぎた。
そんな事に気を遣っている場合じゃないのに、
そんな能力を育てる位なら、研究方面で育たなきゃイケナイのに、
いつの間にかご機嫌伺い・・・というか、
商売人のようになっていた。
怒られたらいいんだ。
だってそれは価値観が違うということだから。
そしてそれは自我があるという事。
かつて「自分が無い」と言われた自分では無いという現実。
そう。
かつて聴衆の面前で叱られた時も、本当は自分だけに責任があったわけじゃない。
育っていない事実は、迷っている事実は、
しっかり先輩がディレクションをしていない証拠。
後輩が何をしていいか解らないという事実は、
先輩が指導をしていない証拠。
民間のSEをしている時、メーカ先で私が何をしていいか困惑したままでいたら、
メーカ先の役席の方が、
「あの子が動けないのは、お前が指導をしていない証拠になるんやぞ」
と先輩に注意をして下さった。
そういう体制が出来ている所で仕事が出来た経験があるという意味では、
私は幸せな社会人時代を過ごしていたのかもしれない。
雇用機会だけでなく本当に平等に仕事を振って下さって、
性別を超えた付き合いをしてくれた。
そういう面から再考すると、
先に書いた他の研究室の先生は、私の指導教官が、
私に指導して下さっていない部分で、
必須なものをしっかり指導して下さった、という事でもある。
あっちで叱られて、こっちで叱られて、
それはたくさんの人とコミュニケートしている事実があるという事なのだけれど、
もうオーバーフローしていた。
「これ以上は溢れて聞き取れません」という意味でも、
しっかり表面的でいいから怒って、
情報rejectする(収束する)モードに切り替えるべきだったんだ。
いつの間にか仕事の議論じゃなくて、話し相手になっていたんだね。
誰だって自分の言っている事を認めてもらいたい。
渇望していると力づくになってくる。
私は研究において、どの方向性が自分に合うか解らなかったし、
何もかも知らなかったので、
誰彼となく情報収集したい時期だった。
けれど、この行為は、それこそ私の人間性を知らない人からすると、
うまく聞き出して手法を盗むのでは、と勘違いされても仕方ない。
なぜなら、そうする人間も多いからである。
時間をかけて解ってもらうしかない。
人間性を。
あの時は、指導教官の考えにどうしてもついていけなかった。
文科省のとあるプロジェクトは、
それまで先生がご存知のそれとは違って、
様々かつ独特な規約がたくさん存在していたのだと思う。
先生にとっても初めての事ってあるのだと思う。
いつも戸惑っていらした。
大学の事務方の人達も秘書さんたちも狼狽する時期があった。
みんなみんな徹夜ばかりが続いて、
順番に倒れる人が続出していた。
それぞれに完璧を求める人が集約している場所でもある。
その分、自分にも他人にも余裕が無い。
真面目故に起こる事だった。
それからもプライベートで閉塞的な状態が3年半も続き、
それはつまり自分で抱え込む時期ということだったので、
煮詰まった考えに新しい水が流れて来なかったし、
新しい風が送り込まれる事もなかった。
けれど、ゆっくりではあるけれど、
3年半もあれば、子どもがしっかりしてくる。
他人も経験する事が増える。
そうやってやっと、他人さんに自分の子どもを任せられる勇気が沸いて、
やっと自分を解放し始めつつある。
ようやく、ようやく。
それなりに元気になってきたようで、
同年代の知り合いの方たちに、
「まだまだ、これから」と頑張っているお姿を見せていただきながら、
言っていただいても、
すんなり聞けるようになってきた。
時間は確かに解決する。
一段落に近い状態にない時はそれさえ疑う。
けれど確実に微細に時間が解決する事もある。
その間、努力をしている事が前提だけれど。
努力が必ず報われるというワケではないけれど、
何かを達成している人は必ず努力をしている。
またその努力が苦にならない資質があるのだと思う。
そう思うと叱られるのも悪くない。
いろんな人がいろんな目線で厳しく私を育てて下さっているという事でもある。
・・・と今なら思える。
そうなってくると不思議なモノで、
以前「?」と思っていた音源でさえ、素敵に聴こえる。
聴き取れなかった要素が聴こえる。
「この曲、この部分でこんなフィル入っていたんだ・・・」
同じ事をしていても新たな発見がある。
「やっぱりイントゥルメンタルは脇役なんだと思うな・・・」と、
ちょっと野呂さんは残念なようにおっしゃったけれど、
それって素敵な事でもあると思いますよ。
だって耳障りな音源、誰がBGMにします?
そういう意味では立派な主役ですよ!!!
少なくとも私は本気で思っています。
主役だと思っている人が集まってファンなんだから・・・
そう思える・・・復調して来たのかな?
同じ場所に同じように戻れるわけではないのだろうし、
もう同じ自分ではないから必然的に戻れないのだろうけれど、
それでも本質が変わらないのだとしたら、
懲りずに私は戻っていくのだろう・・・