やっとこの日が来ました。
昨年もやったけれど私がパラレルに動けないせいで、
あるいは家の事情を慮ってくれたせいで、
待ちに待たせてしまいました。
ずっと助けて欲しかったんだね。
ずっと助け方が違っていたんだね。
本当にごめん。
これからは思う存分やっていいよ。
けれど、なぜあんな方向へ行っていたんだろう・・・?
きっと出る杭だから打たれていたんだね。
出てもいい方向へ出る分には構わないんだ。むしろwelcome!!
その場所を見つける事が大切なんだね。
『努力が必ず報われるとは限らない。けれど成功した人は必ず努力をしている。』
今日みつけた場所の受け売り。
振り返ってみると我が強すぎたと思う。
言葉尻だけを取る癖があって「自立」と言われると、
”完璧に”「自立」と思ってしまう。
誰の力も借りない。
けれどそれは同時に人を寄せ付けないのかもしれないし、
そのスタンスで動くと傲慢に見えてしまうのかもしれない。
でも自分の芯の芯に耳を傾けたら、
何かに依存しっぱなしで生きるより自立を選ぶ。
これとて極端だけれど、極端にしか出来ないんだから、
バランスなんてとても難しいんだから、
これしか出来ない、こうするしかない、やがてこうなる。
そしてやがてプロという世界に向かって生きていくようになるんだろうな・・・
一様で無いと疎外する(イメージ通りでない疎外する)傾向にあって、
その行為を普通という言葉で正当化している事を私は見逃さない。
そもそもなぜ敵対しないとイケナのかが解らない。解らない。
気がつけば巻き込まれる。それはプロもアマチュアもなく、
学歴が高いも低いも関係なく訪れる。
けれど、家族の中で、バランスが取れていれば、そう問題無いのではないだろうか?
特別独りだけ学歴が突出しているとか、
特別独りだけ容姿端麗だとか、
特別独りだけ裕福だとか・・・・
書いていてふと思ったんだけれど、このバランスが崩れている状態が、
虐待というか差別になるのでは?
例えば、「○○だけ食事はありません」「○○だけ塾は行かせません」・・・
きょうだいが居て、親が生存している場合、
これは出来れば避けたい。「家族内では。」
それだけ守れていたら、それでいいんじゃない?