弦楽四重奏行ってきました。


明日は創立記念日なんですが、記念式典として行われたものです。


その生の音色の美しい事!


母はクラシック好きなのですが、音源が家で鳴ることはなく、


一緒に行った友達やご本人がどれだけ著名であるかにその興味がある人なので、


なんだか知らない間に食わず嫌いになってしまっていました。


が、今日はそれを後悔しました。



なんというsmoothな音だしなのでしょう。


私に届いた情報は、素人の余計なそれだったと痛感しました。(母よ、ごめん。)


百聞は一見にしかず。   うんちくなんかどうでもよくてホールに足を運ぶべきだった。


大阪に居たときもフェスティバルホールやいずみホールが近かったのに・・・。



私は鍵盤楽器や管楽器をするので、弦楽器は憧れでしたが、


運悪く小学校高学年の音楽担当の先生が聴かせたバイオリンの音は、


音色というには程遠い、ガラスを爪でキィーーーーーーーッ!と掻くような音。


一発で聴かず嫌いになりました。


もちろんTVでオーケストラを観る事はありましたが、


音響になんの関心も無い実家のそれでは、感動も半分以下。



四重奏を聴いて、私は少数精鋭というか、必要最小限の人数で実現する和声の美しさが好きなのだと、


認識しました。


思春期はフュージョンというジャズを基盤とした音楽をよく聴いていましたが、


カルテットで聴かせるからこそ鮮鋭に聴こえる和声がそこにはあり、


その響きに本当に感動しました。



もちろんクラシックホールは初めてです。


敷居が高かったというよりも、母の情報で興味を持つ事ができずにいました。


本当にもったいない事をしました。



周辺地域の評判も高いところにあります。評判を聞き過ぎて萎縮していましたが、


よく見てみると他県のファッションセンスの高い地域の方が断然素敵。


今までどうして怖く思っていたのだろう・・・?


他県のファッションセンスの高い地域には車でよく行ってました。


お気に入りのマイスポーツカーで海沿いから行ったり、山側から行ったり。


そのために仕事をしていたと言っても過言じゃありません。


お気に入りの音楽を聴きながら自分だけの時空間を堪能していました。




いいものを見てきたんだな・・・と思います。


長い間親に反抗して認めたくなかった。悔しかったんですよね。


決して生家が恵まれていたわけではありませんが、それでも、


仕事が出来た父親と教養の高い母親と。いくらもがいても届かない事が解りました。



挑戦していた事にも意識していた事にも気づかなかった。バカだね・・・


気づかないうちに心労かけてばっかりなうちに逝ってしまった父。


本当にごめんなさい。


仕事が出来るから何も無くても忙しかったし女性の噂を聞かない日は無かったし、


娘なのにかまってもらえないまま育ったのが嫌だったんだ。


でもようやく解った。生意気になった私に対して腹が立って、その場でカッとなって、


「出て行け」とは言ったものの、本当は心配で仕方なかったはず。


周囲が煩いから世間の常識を私に解いただけで、本当はそうでなくてもいいと思っていたくせに。


天邪鬼で意地っ張りな父。そっくりな母。


きっと私もそっくりなんだろう。



似合わないと勝手に決めて受け入れなかった母の服のセンス。


ステージ上の奏者の衣装を見てハッと気づいた。


彼女のセンスはここから来ていたんだ。


父の経済力があったなら音大も行けただろうに。どうして普通の道を歩いてしまったんだろう。


この事を父は刹那的と言ったんだろうな・・・



長女はね、自分のやりたい道なんて言わないもんだよ。


そこは理解が無かったね。二人ともきょうだいの下だったから(笑)


親が学歴を一番重んじる性格なのは解っていたよ。


不器用だから有名大学にも音楽大学にも行けるだけの両方の能力は持ち合わせていなかった。


家には芸術家が一番居ないじゃないですか(苦笑)


お金へ気苦労が無い道を喜ぶことは知っていたよ。



そう思うと・・・10年前に自分のやりたいように生き始めたんだね。


母にとって「嫁」が決して幸せでなかったから、投資をしてくれたのだと思う。耐えながら。


弦楽四重奏を聴きながら集約された人生を振り返る事ができました。



基本はクラシックにあるんだよね。



10代の頃に放り投げてしまった楽典。勉学。  他の事に気を奪われてた。


先に他の事に気を奪われ、引き返す勇気を持たない人に、精神的に邪魔されていた。


音の構造を感じた今日の四重奏でした。


数字の構造を感じて生きていこう。


そこには年齢も性別も無い。


この考えを租借出来るようになるまで、私には今までの経験と修業が必要だったんだ・・・。



構造を感じて進んでいこう。


創立記念日にこう思えるなんて。


やっぱり導かれるべくして導かれたのかもしれない。


乗り越えるべきタスクが見つかった。


乗り越えたら、また別のタスクがあって、自分にとって必要な土地に導かれるだろう。


不思議な自信がある。



基本に還る。


多角的な見方が出来るようになっているかな? なっていたなら幸せだなぁ。。。