と行ったら電気消すーとスイッチ指差してお布団に向かう

まんまの時にテーブルに敷いているシリコンマット

『マットをテーブルの上に敷いて来て』
と頼んだらうれしそうに走って敷いてくれます

ただ、場所覚えてるだけかもしれないけど

あと食べ終わった後

『お皿持って来て』
『スプーン持って来て』
と言うと笑顔で持ってきてくれる

言わなくても忘れてるよーと言った感じで
『ママー!』と言って持って来てくれる

そしてテーブルも付近で拭いてくれる

意思表示も強くなった

して欲しいことがたくさんあるみたいね

指差してよく要求されます

あと、やっとNHK見ててブンバボンの他にも踊るようになった

ブンバボンは始まる前に必ず動物の映像が流れるのを知っていて、その時からスタンバイしてます

たまにフライングしちゃうけど、画面が切り替わった瞬間に誰よりも早くブンバボンしてる(笑)
踊りはたいがい拳を掲げて上下に動かす仕草

この前、初めて体を左右に揺らしてるのを見た

順調に成長しているんではないかと思っているんだけど、どうやら内弁慶

けっこう色んなところに連れ出してるんだけど

今日はいよいよ幼稚園のプレスクールが始まり、連れて行きました

昨日19時過ぎに就寝したからかいつもより1時間早く起きちゃって、ちょっと眠たかったのもあるかもしれない

皆、同級生。
10人くらい居たのかな?
たぶん、チビスケが1番月齢が浅かったと思う

それもあるかもしれない

完全についていけてなかった

ボール遊び、風船遊び、大好きなおままごともあったのに全然輪の中に入らなかった

後ろの方に飛んできたボール、風船、おままごとのアイテム、それを拾って細々と遊んでた

いつも触りたい物が近くにあったら見つけたって笑顔で私を1回見る

それから触る

その姿が何だか
今日は切なかった

チビスケ以外、全員夢中で群れて笑って遊んでた

母は終始、切なかった

皆とのギャップがあり過ぎて

何人か居たらね、気にならなかったのに。
見事にチビスケ以外、全員が元気に遊んでた

風船遊びが皆、楽しそうで抱っこしながら近くに行っても嫌がって赤ちゃん抱っこやコアラ抱っこを要求してきた

チビスケ、月謝かかってるんだよー

と言うのはさて置き、ちょっと心配になってしまいました

まぁ、そんな心配はきっと要らぬ心配なのかもしれないけど…
私自身が3歳から通ってた保育所で輪の中に全く入れないタイプでした

皆は今の私からは想像がつかないだろうけど

皆が遊んでる人気のおもちゃたち

輪の中に入れない、遊びたいと言えない

はなから諦めて誰も遊ばないおもちゃで遊んだりしてた

本当、おとなしかったんですよ

保育所以外では姉が居ないとダメだったし

背も小さいし、もの喋らないからか、1番大きな女の子にいつも押されたり意地悪言われてたの覚えてる

またその子が大人にめっちゃ媚び売る子だったなぁ

それと1人の若い先生にツネられたりよくされた

遠足の時に吊橋の遊具があって、危ないからその先生がそこで見張ってる時があった。
私は嫌な予感しつつ、その先生の前通ったら案の定、押された

今、考えたら腹が立つし先生とか事件よね

でも親にも誰にも言えなかった

だからやられ続けてんだけど

大人になってからサラッと言ったら、
何で言わなかったの!?って言われたな
暗い話になりますが、正直私の幼い頃の話は明るいことがあまりないかもしれません

全焼の火事も経験してるし、その年に父が蒸発して謙遜なしでリアルにビンボーだった。
ずっと長屋暮らし。
お米は毎日食べられなくて、給食の週1回の米飯の日が楽しみだった。
大根の葉っぱを炒めたものだけがおかずだったりね。
決して多くはない量なのに、姉は食べることが好きな私に少し分けてくれていた。
未だにそう

ひもじくて、お小遣いでパン買って飢えをしのいだりしてたなぁ。
誕生日やクリスマスは欲しい物はもらえなかったし、クリスマスにサンタが来たことは一度もない

部活動を始めた時にテニスラケットとスニーカーを買ってもらうのが精一杯。
ユニフォームを買って欲しいと母に言い出せなかった。
ユニフォーム買わなかったら顧問に呼び出されたな。
不憫に思って、先輩の古いユニフォームを譲ってもらった。
皆はピカピカの綺麗なカッコいいデザインのユニフォーム。
私はたった1人、ただ無地の薄汚れたユニフォームだった。
卒業アルバムにも残ってる。
私は未だにそのページの写真を見ることはない。
これは小学校上がる前だけど、とある人に性的虐待に近いものはされたことあるし。
自分だけが不幸じゃないのはわかるし、私は家族が大好き。
だけど、子供らしくわがままを言えなかった。
母がごめんねって悲しい顔をするから。
諦める方が最善だと思っていた。
よくグレなかったねって事情を知ってる人には言われる。
答えは簡単

母を悲しませたくなかった

兄は家出ばっかで超絶グレてましたが(笑)
中学1年の時に母が癌になった。
この時が1番絶望的だと思っていたかもしれない。
私たち兄妹のせいで母は身体を壊した。
死ぬかもしれない。
これ以上に悲しいことはなかった。
高校も諦めなければ。
でも母は病いに打ち勝った。
だからこそ余計に母への感謝が大きい。
親孝行せねばと思うし、チビスケを産んで更に気持ちが増した。
そうそう、私の生い立ちのせいで5年付き合っていた結婚する予定だった方とも駄目になった。
忘れもしない。
付き合って3カ月目から5年間、ずっと家柄が良くないと結婚は反対されていた。
相手の方はお金持ちで育った地域も富裕層ばかりの地域。
私は部落もあるような地域。
それに、母は部落の出だ。
と言っても母は弟が産まれてすぐに預けられていたので住んではいなかったけど。
今時、部落とか言ってもわからない若者の方が多いと思うけど。
それを正直に言っちゃう方でね、随分と長い間悩みました。
積み重なってキャパオーバーになって同棲もしてたけど、無理矢理別れました。
私の過去を人に話をした時に皆色々あるよね、辛いことは隠しているもんだよって感じで軽く流されるのはまぁまぁ辛い。
あなただけが不幸じゃないよって言われてるもんだ。
そんなの承知の上で喋ってる。
だけど、それ以上話すのはやめる。
本当はこう問いたい。
じゃあ私のような幼少期の人生歩みたい?って。
きっと歩みたくないと答えるよ。
それぐらい貧しかったし、不憫な思いをたくさんしていた。
一時的な貧しさじゃない。
毎日毎日貧しかった。
バイトができるようになるまで、お金を稼ぐという事に何の知識もないし努力しようがなかった。
今の状況を飲み込むだけ。
不幸自慢をしたい訳じゃないし1から10話してないから理解できないよね、言わなきゃ良かったってなるよね。
だから、あまり私の過去は知らない人が多い。
今の性格からは想像つかないだろうし。
それに私の母の方がもっと壮絶な人生を送っている。
私だけが不幸じゃないことは幼少期からわかっている。
だけど、幼少期を思い出す時は美しいカラーでおもいだせない。
もやもやと暗い白黒に近い映像で思い出される。
これはきっと心の影が映し出されてるんだと思う。
私は保育所からの幼馴染にすら話していなくて、大人になってから話したら号泣された。
これには驚いたけど、正直うれしかったなぁ

後にも先にもこの子1人だけ。
喧嘩もたくさんする幼馴染だけど、唯一受け止めてくれた子だから大事な人。
今、私は32歳。
色々と覚えてるもんなんですよ
たった3歳〜6歳の保育所の出来事でさえ。
小さい時から自分は優劣の劣の方であることを理解していた。
身分も見た目も頭も。
何の取り柄もなく、何の才能もなく。
今のメンタルが強い明るい自分があるのはその時の経験があるから。
ちょっとやそっとじゃへこたれない。
今は人生の底辺じゃないと思えるから
子供の時は自分には何の力もなくて、欲しい物も手に入らなければ願わなければ良いと思って、ただ誰かに頼って流されるように生きるしかなかった。
大人になってからそんな自分とは決別でき、努力で変わることを知った

強くなった。
でもチビスケのこととなると心配
自分の保育園で輪に入れなかったことがあるから本当、心配で
幼稚園通うまでほぼ毎週あるから慣れてくれたら良いなぁ

母はお友達と遊ぶ姿が見たい

元気に遊ぶ姿が見たい

何よりも笑顔が見たい

そんなこんなで疲れてか、チビスケは帰ってから爆睡でした

その後に久しぶりにいつもの芝生広場に連れて行ったら喜んで遊んでた

それからは一度もお昼寝せず、昨日と引き続き19時過ぎに就寝でした

明日は初めて行くところの園庭開放です
