FB上でも発表しましたがね、次男無事誕生しました。
12/13(火)の明け方です。
深夜の3時過ぎに義理の母から電話があり、生まれそうだと。
急いで用意して、病院に向かいました。
流石にまだ分娩台には乗っていないと思っていたのですが、既に出産準備万端状態。
どうしても一声かけて安心させたかった俺は立ち会わない予定でしたが、今回も立ち会うことに。
二度目ということもあり、前回よりも丸見えな感じです。
前回はへその緒がチョロット見える程度だったのですが、今回は殆ど見えてしまったんですね。
へそのをに加え、胎盤まで。
カミさんには隠してたけど「もー無理ーっ」てなってました。
なんとか隠せたとは思いますが・・・。
カミさんの目には涙が浮かんでいましたが、正直な感想を言えば一人目の時ほどの感動は無かったです。「おぉー」って感じでした。
客観的とは違う、何かよくわからない感情がその後頭の中でずっともやもやしていました。
感動出来なかった罪悪感で子供を直視出来ないというか。
最初の時は感動したのは確かです。
「この子は自分の子だ」と確信し、親としての責任や義務を改めて考えさせられました。
ただ今回にはそれはありませんでした。
そこが常に引っ掛かっており感動する事が親として当たり前に考えなくてはならないというモラルに縛られていたんじゃないかと。人として・・・とまではいかないにせよ、やはり感動しなくてはならないという強迫観念的なものがあったのかもしれません。
そこがすっと紐解けた瞬間に、「ではなぜ今回は純粋に感動しなかったのだろうかと」
これに関しては一度経験しているからだと。
経験することで強くなるともいいますが、強くなるというよりも鈍感になるって事なんだと思います。鈍感になるって事は耐性がつくって事なのだと思いました。経験って悪い方向には良い意味で伝わることも多いですが、良い意味での経験が悪い方向に向かってしまったと。
ちょっと飛躍するかもしれませんが、実は意識的に経験している事よりも、無意識で経験している事の方が圧倒的に多いのでは?と考えさせられました。
ここら辺が難しいところだとは思いますが、無意識的にも人間ってのは日々成長しているんですね。
毎日の積み重ねっていうのはこういう事かと。