今日の投稿は、前の投稿に 

聖書の相当聖句を いくつか

付記してみた第一部です。

題して

「未来と遭遇しながら生きる」

 

引用聖書は

口語訳 旧約聖書と新約聖書 です

 

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今朝まだ外が暗い時、突然に頭の中に浮かんできたこの言葉

 

私たちは、

与えられた命を 生きる存在なんだなぁと

考えていました

 

創世記 1章27節

神はご自分の形に人を創造された。

すなわち、

神のかたちに創造し、男と女とに創造された

 

創世記 2章7節

主なる神は 土のチリで 人を造り、

命の息を その鼻に 吹き入れられた

 

自分で生まれたいと思ったわけでもないのに、

この世に 送り込まれた 私たち 一人ひとりは

 

命という 目には見えない エネルギーに

体という 有限な物質を 身にまとって 

今を生きている

旧約聖書 詩篇139篇13節ー17節

あなたは我が内臓をつくり

わが母の胎内で私を組み立てられました。

私はあなたをほめたたえます。

 

あなたは恐るべき、くすしき方だからです。

あなたのみわざはくすしく、

あなたは最もよくわたしを知っておられます。

 

私が隠れたところで造られ

地の深いところでつづり合わされた時

私の骨はあなたに隠れることがなかった。

あなたの目は

まだ出来上がらない私の体を見られた’。

 

私のためにつくられたわがよわいの日の

まだ一日もなかったとき

その日はことごとく あなたの書に記された。

 

神よ

あなたのもろもろのみ思いは、

なんと私に尊いことでしょう。

その全体はなんと広大なことでしょう。

 

 

今 

この瞬間にまとっている 有限なこの体で生きていく 人生に

どんなことが 内包されているのかさえ 自分では知らず

止まることのない 時の中に生きつつ

少しづつ すこしづつ 

自分の人生に内包されているものに

出会っていく。

 

それは 自分の未来との遭遇

 

ひとつずつ明らかにされていく 「未来」という

自分の今を 生きつつ

時には 

自分の人生に内包されていた 素晴らしさに 驚かされ、

時には 

これさえなければ、私は もっと普通に

フ、ツ、ウ の人と同じように

人生を 楽しめるのにと 感じること にも出会う

 

自分にとって

いいことに感じること も

そうでないと感じること も

全ては 与えられた 命と体に 内包されていた

一人ひとりの 未来

詩篇 139編16節

私のためにつくられたわがよわいの日の

まだ一日もなかったとき

その日はことごとく あなたの書に記された。

 

 

わたしたちは、

 与えられた 命を

体という 有限な物質の中に宿して

生きる 存在

創世記 2章15−17節

主なる神は人を連れて行ってエデンの園に置き、

これを耕させ これを守らせられた。

主なる神はその人に命じて言われた

「あなたは園どの木からでも心のままに食べ取って食べてよろしい。

しかし

善悪を知る木からは取って食べてはならない。

それを取って食べると、きっと死ぬであろう。

 

そういう存在でしか ない。

 

だから 生きる中で 

瞬間瞬間に 出会う 「現実」という 全ての未来は

受け入れる ほか 無い

 

ーーーwith 聖書 第2部「奪われなかった選択の自由」へ続くーーー

 

 

ころりん