皆さんお久しぶりです。

訪ねて頂き、ありがとうございます。

 
 

さてさて、今年3月に母の死後1年が過ぎ、

遅ればせながら、ごくごく家族だけで

母の一周忌を済ませた。

そのために、12日間ほど日本に帰省し、今朝帰ってきました。

 

仏壇と神棚が有る家庭で育ち、

31年後にクリスチャンになったのが私です。

 

去年2023年3月4日、母の他界を知った私ですが、

海外在住という理由で地理的問題があり、

死後3日後の葬儀への参加には無理があったので参加しませんでした。

日本の多くの人が、もしかしたら

実の親の葬儀に参列できなかったことに

不憫さを感じるかも知れませんが、

私にとって、

葬儀(仏式)に出ないことは、生涯身につまされるような

問題ではありませんでした。

 

それは、

私はクリスチャンであるので、

肉体の死後も魂は存在することは信じていますが、

肉体が死んでそれを離れた魂について、

現世で行う供養に当たる法事等の行為が、

死後の世界に在る魂に何らかの影響を与えるということは

信じていないからです。

 

 仏教でいう供養、法要、つまり1,7,11,13,19,33回忌という法要は、

あの世に行った魂が成仏することを助ける、という意味があるようです。

それと同時に、

供養を行った家族の徳になるという意味も有るようです。

更には、

残された家族が故人に対して「供養という義務」を果たしたと安心できる

というような意味も有るようです。

 

宗教というものは、

目には見えない事々ー魂や死後の世界などに焦点が当てられていますよね。

魂は、目には見えないから、確かめることが出来ません。

そして一般的には、

死んで蘇った人は誰もいないということになっているので、

(実は、ただ一人、死から蘇った人がいるのですけれど、

そのことを根拠を知って信じる人は残念ながら多くはありませんが)

 

人は肉体の死後どうなるのか?

という根源的な質問に対して、自信を持って答えることができるのは、

これらについて学び信じている人以外には

いないのではないでしょうか。

 

この質問は実は、もう一つの根源的な質問と類似しています。

その質問とは、

あなたはどこから来たのか? というもの。

 

あなたは、

この2つの質問に対する、自分なりの確固とした答えを持っていますか?

 

確固としたというのは、揺るがないという意味であって、

もっと具体的に言えば、

自分の死、愛する人の死を前にしても、

「揺るぐことはない」「不安になることはない」

「自分が信じたようになる、と信じ抜くことが出来る」と

今の時点で思える「答え」のことです。

(これを、一般には信じるといいますね。)

 

もう一度、確認しておきますね。

問いの内容は、

人は肉体の死後、どうなるのか?あなたはどこから来たのか? 

 

言い換えると、

あなたはどこから来て、どこへ行こうとしているのか?

 

母の一周忌法要(仏教式)への参加に際して、

家族の中で「死後の魂に対する考え方の異なる」一人のクリスチャンとして、

私はこのことについて一般の日本人の死生観について

改めて考える機会を与えられました。

母の回顧録 クリスチャンとして一周忌を終えて(2)へ

つづく

 

CORORIN