10 血縁の記憶 | 南域結界☆ ジェルソミーナ

10 血縁の記憶

 手袋の指先を、口元に当てて、放心状態に入ってしまっている。
「とっても……」

(なにを言っている――)
 予想だにしない、あまりの言葉に、彼は、自分の台詞さえ忘れてしまった。
 結界師の様子が、いつもと違う。
 宰相は、ただ彼女を見つめていただけである。
 結界師の視線は、膝の上に止まったまま、動かない。

(すっごーい……)
 近くで見れば見るほど、素晴らしい『仕掛け』だ。

 懐中時計のように日常、衣服の内側に、携帯することを前提として創り出された「商品」は、当然、容器の大きさが限られている。
 そんな中に、普通の時計の機能はもちろん、月の満ち欠け、聖人の名を冠した、祝祭日の「暦表」。
 高度計、方位計。それらを飾る、宝石、鏡、造花、オルゴール、カラクリ人形。
 時には、写真、薬品、小さな指輪を入れるための、「秘密の空間」まで……
 用意しなければならないのである。
 内部が複雑で、小さくなっていくのは当然なのだ。

 見とれている結界師の、ドレスの肩から背中――
 なめらかな栗色の髪を、キーツは戸惑いながらしばらく見つめていたが、やがて、いつもの心の均整を取り戻して、
「何か用があるのか」
 と、それだけを短く尋ねた。

 結界師が、顔を上げた。

 身を乗り出していた茶色の瞳が、すぐ傍で、彼の目と交差する。
「すごい物をお作りになるんですね」
 それは正直な感想だった。
 正直言って、技師のひとりとして、彼の技に、感心していたのである。

 しかし、キーツの心の中では、奇妙な亀裂がはしり始めていた。
「世辞などいらん」
「お世辞じゃありません」
 とんでもない、と身を起こす。
 姿勢を正すと、白い肌が、灯かりに透けた。
「本当にそう思っているんです」
「うるさい!」
 ベンチから、立ち上がった。
「わたしに世辞など無用だと言っているのだ!」

 見下げるキーツ宰相の眼光は、怒りに染まっている。
「お世辞じゃないと、言ってるじゃないですか」
「信じられんな!」
「なぜそう、お怒りになるんですか? たまには……私の言葉も、素直に受け止めて下さい。私は本当にそう思ったんですから、キーツ様……」
「うるさい、それ以上言うな!」
「キーツ様……っ」
 どうにか分かってもらいたいと、さらに言葉を続けようとした、その時、

「こちらにいらっしゃいましたか、宰相閣下っ! おお、結界師殿もっ! 閣下、一大事ですぞ!」
 庭園のアーチから、野太い声が上がった。
 二人の間に、室内着姿の大臣が、飛び込んでくる。
「なんだ」
「なんとも恐ろしいことです!」
 息を切らせて、両太ももへ前かがみになり、全身で呼吸している。
 結界師は裾を直し、改めて、大臣に向き直った。

 大臣は呼吸を整えると、目をむき、思いあまったように報告した。
「イリニア帝国からの「宣戦布告」です! たった今、宣戦布告が、皇帝陛下に届けられました。パストラルを滅亡させると、それはもう、えらい剣幕で……王宮は大騒ぎです。あああ、早く避難の用意をせねばっ、これは大戦になりますぞ!」



   本編 第三話 「血縁の記憶」 完

   第四話 「人間の証明」 へ、つづく


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