3 血縁の記憶
でも、宰相は言ったのだ。
彼女に、二度と城へ戻るな、と言って。
あれは本気だった。
剣を振りかざし、憎しみのこもった目で、言ったのだ。
「いいかげん目を覚ましなさい。最近のあなたは、どうも変よ。いいかげん宰相の我侭に、振り回されるのはよしなさい!」
ずっと身長の低いレイリに言われるのも、不思議な感じだが、見上げる彼女の言葉には、年齢や体格を越えた重い力があった。
「しっかりしなさい、ジェルソミーナ。思い出して。あなたの仕事は、宰相のご機嫌とりなんかではないはず。あなたの仕事は、扉の整備、扉の守護。そしてあなたの主人は誰? 契約を結んだ者、皇帝でしょう? 皇帝があなたの力を求めている以上、あなたは契約に従い、職務を遂行しなきゃならないわ。宰相の顔色をうかがい、仕事を引き受けないようなら、あなたは結界師の仕事自体を辞めなさい。あなたの基本姿勢自体に、問題があるわ」
「レイリちゃん……!」
ジェルソミーナは夢中で、少女を、雪の中から抱き上げた。
「ごめんね……」
口をついて出た言葉が、それだった。
「そうだよね、おかしいよね……。なんで、皇帝陛下の仕事まで……変だな……」
「ジェルソミーナ」
細い眉が中央に寄り、みけんにしわができた。
「もう一つ言うわ。宰相に、あなたは殺せない」
断言して言った。
その目は真剣だ。
「殺したいと願っている。でも願っているだけでは、人は殺せない。人を殺すには、勇気が必要だ。だが肝心の勇気が、彼にはない。彼はいつも、今自分の立っている場所から、一歩前へ進みたいと願っている。でも願うだけで進めないのは、自分の中に弱さを飼っているからなんだ。彼の弱さとは、過去への執着、未来から迫り来る「変化」への恐れだ。彼には、ジェルソミーナは殺せない。彼はあなたを殺すことで始まる、『未来の変化』に怯えているんだ。そして未知なる、あなた自身に。……殺せるぐらいなら、とっくの昔に自殺できている。でも彼には、自分を殺す勇気さえない」
「……自殺するって、どういうこと」
「ものの例えだ。そう、ものの例えで――例えば彼が、この世界を滅ぼした後、自分も世界の後を追って、自殺しようと計画をたてている……と『仮定』する」
緑の目に、力が増した。
「……もし、その計画が世界滅亡まで成功しても……計画の「詰め」を、彼は実行できないだろう。彼は死なない。彼の最大の欠点は、自分の「生」に、あまりに執着しすぎるということだ。どんなに人間の住めない世界になっても、彼は生きようと必死にあがくだろう。死にたいと願っていても、思い悩むだけで、決して前へは進めないのが、あの、キーツ宰相の姿だ」
「レイリちゃん……キーツ様、死ぬ気なの……? ――いやっ、でもほら! キーツ様、私を殺そうとするのは本気だったわ。きっとキーツ様なら私を殺せる。私を殺して、何が変わるのかは分からないけど、きっとキーツ様なら、前には進めるはずよ」
レイリは、憐れみにも似た目で、彼女を見つめていたが、「何も気付いてなかったのね」と溜め息をして、
「彼は、少し変わってきた」
白い息が、いっそう白くなった。
「殺したいと願っていることには変わりはない。けれど心のどこかで……自分に結界師が殺せるだろうかと疑っている。結界師を殺すことで自分の中の何かが変わる、その予感も彼には恐怖だったからだ。けれど……彼は、ひとつの『逃げ道』を発見した」
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彼女に、二度と城へ戻るな、と言って。
あれは本気だった。
剣を振りかざし、憎しみのこもった目で、言ったのだ。
「いいかげん目を覚ましなさい。最近のあなたは、どうも変よ。いいかげん宰相の我侭に、振り回されるのはよしなさい!」
ずっと身長の低いレイリに言われるのも、不思議な感じだが、見上げる彼女の言葉には、年齢や体格を越えた重い力があった。
「しっかりしなさい、ジェルソミーナ。思い出して。あなたの仕事は、宰相のご機嫌とりなんかではないはず。あなたの仕事は、扉の整備、扉の守護。そしてあなたの主人は誰? 契約を結んだ者、皇帝でしょう? 皇帝があなたの力を求めている以上、あなたは契約に従い、職務を遂行しなきゃならないわ。宰相の顔色をうかがい、仕事を引き受けないようなら、あなたは結界師の仕事自体を辞めなさい。あなたの基本姿勢自体に、問題があるわ」
「レイリちゃん……!」
ジェルソミーナは夢中で、少女を、雪の中から抱き上げた。
「ごめんね……」
口をついて出た言葉が、それだった。
「そうだよね、おかしいよね……。なんで、皇帝陛下の仕事まで……変だな……」
「ジェルソミーナ」
細い眉が中央に寄り、みけんにしわができた。
「もう一つ言うわ。宰相に、あなたは殺せない」
断言して言った。
その目は真剣だ。
「殺したいと願っている。でも願っているだけでは、人は殺せない。人を殺すには、勇気が必要だ。だが肝心の勇気が、彼にはない。彼はいつも、今自分の立っている場所から、一歩前へ進みたいと願っている。でも願うだけで進めないのは、自分の中に弱さを飼っているからなんだ。彼の弱さとは、過去への執着、未来から迫り来る「変化」への恐れだ。彼には、ジェルソミーナは殺せない。彼はあなたを殺すことで始まる、『未来の変化』に怯えているんだ。そして未知なる、あなた自身に。……殺せるぐらいなら、とっくの昔に自殺できている。でも彼には、自分を殺す勇気さえない」
「……自殺するって、どういうこと」
「ものの例えだ。そう、ものの例えで――例えば彼が、この世界を滅ぼした後、自分も世界の後を追って、自殺しようと計画をたてている……と『仮定』する」
緑の目に、力が増した。
「……もし、その計画が世界滅亡まで成功しても……計画の「詰め」を、彼は実行できないだろう。彼は死なない。彼の最大の欠点は、自分の「生」に、あまりに執着しすぎるということだ。どんなに人間の住めない世界になっても、彼は生きようと必死にあがくだろう。死にたいと願っていても、思い悩むだけで、決して前へは進めないのが、あの、キーツ宰相の姿だ」
「レイリちゃん……キーツ様、死ぬ気なの……? ――いやっ、でもほら! キーツ様、私を殺そうとするのは本気だったわ。きっとキーツ様なら私を殺せる。私を殺して、何が変わるのかは分からないけど、きっとキーツ様なら、前には進めるはずよ」
レイリは、憐れみにも似た目で、彼女を見つめていたが、「何も気付いてなかったのね」と溜め息をして、
「彼は、少し変わってきた」
白い息が、いっそう白くなった。
「殺したいと願っていることには変わりはない。けれど心のどこかで……自分に結界師が殺せるだろうかと疑っている。結界師を殺すことで自分の中の何かが変わる、その予感も彼には恐怖だったからだ。けれど……彼は、ひとつの『逃げ道』を発見した」
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