7 もつれる糸
こちらはすでに、現在研究進行中の、「粘着性膜」を呼び出す作業に夢中になってしまっている。
宰相の言葉に反応するのに、しばらく時間がかかった。
「縦穴に来ていた女だ」
「マチルダですか」
悲しいかな、ジェルソミーナは宰相相手に、『対魔獣マニュアル』を貫徹することができなかった。
「そうだ。あともう一人も、呼べと言え」
「もう一人?」
「言えば分かる。そして……「鏡の中の住人」を必ず連れて来い。必ずだ」
「鏡……? キーツ様、いったい何を?」
「……様?」
不機嫌な波が、みるみる間に、表情に満ち溢れる。
それを、
「あっ、違います! つい。みんながそう呼んでいるんで、つい、うつって、あのっ、申し訳ないです……閣下……」
「つべこべと!」
様でも閣下でも、この際、一緒だろうと思うのだが、この人には『別』らしい。
「ごっ、ごめんなさいっ!」
第二撃目を、寸前で避けた。
難しい人だ。
しかも間の悪いことに、腰に下げた「羽虫の箱」へ、一匹の光虫が輪を描いて、飛び込んで来た。
手で、虫の入った「穴」を塞ぐ暇もない。
たちまちのうちに、単調で不愉快な警報音を、大音量で響かせる。
慌てて箱を引き上げると、無数に開いた穴の一つが金色に輝いて、中で先程の光虫が羽根を開き、こちらを見上げている。
「穴」には隣町、グールデン、とメモが書いてあって、羽虫の様子を見る限りでは、かなり焦っている。
グールデン領主もかなり焦って、羽筒の栓を開いたのに相違あるまい。
箱からすぐに手を離し、ジェルソミーナは、目の前の「お客様」に、営業用微笑を振りまいた。
「すぐにマチルダと『鏡の住人』を呼び寄せますので」
案の定、ご機嫌は最悪だ。
沈黙されるのが一番怖い。
その時、救いの鐘が、山の大聖堂から聞こえてきた。
晴れやかな国歌、賑やかな伴奏。
新年の式典が、始まったのである。
彼女の密かな願いが天に通じたのか、しばらく間を置いて、剣がゆっくりと、鞘の中に収まった。
しかし、
「二度と、わたしの前に姿を現わすな」
深く目を閉じて言い放った言葉には、あの戦いの最中と同じ、凍りつくような憎しみが込められていた。
「いいな。もし……わたしの前に、また現われるようなことがあったなら、シプリペディルム公国の命運も、その日までと思え。鏡の件を、伝え損ねた場合も同じだ」
見開いた眼に、結界師は足がすくんだ。
「二度と、わたしの前に、この城に、姿を現わすな!」
マントが宙で大きく波を打ち、宰相の後ろ姿が、廊下の向こうに消えて行った。
ジェルソミーナは、廊下の端に、一人佇んでいた。
壁に浮かんだ斑紋が、少しずつ、薄れていく。
(城に来るなということは)
ジェルソミーナは言葉の意味を、反芻した。
(つまりは皇帝陛下の仕事も、引き受けられないってことじゃあ……)
朗々とした国歌は、はや二番に、さしかかろうとしていた。
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宰相の言葉に反応するのに、しばらく時間がかかった。
「縦穴に来ていた女だ」
「マチルダですか」
悲しいかな、ジェルソミーナは宰相相手に、『対魔獣マニュアル』を貫徹することができなかった。
「そうだ。あともう一人も、呼べと言え」
「もう一人?」
「言えば分かる。そして……「鏡の中の住人」を必ず連れて来い。必ずだ」
「鏡……? キーツ様、いったい何を?」
「……様?」
不機嫌な波が、みるみる間に、表情に満ち溢れる。
それを、
「あっ、違います! つい。みんながそう呼んでいるんで、つい、うつって、あのっ、申し訳ないです……閣下……」
「つべこべと!」
様でも閣下でも、この際、一緒だろうと思うのだが、この人には『別』らしい。
「ごっ、ごめんなさいっ!」
第二撃目を、寸前で避けた。
難しい人だ。
しかも間の悪いことに、腰に下げた「羽虫の箱」へ、一匹の光虫が輪を描いて、飛び込んで来た。
手で、虫の入った「穴」を塞ぐ暇もない。
たちまちのうちに、単調で不愉快な警報音を、大音量で響かせる。
慌てて箱を引き上げると、無数に開いた穴の一つが金色に輝いて、中で先程の光虫が羽根を開き、こちらを見上げている。
「穴」には隣町、グールデン、とメモが書いてあって、羽虫の様子を見る限りでは、かなり焦っている。
グールデン領主もかなり焦って、羽筒の栓を開いたのに相違あるまい。
箱からすぐに手を離し、ジェルソミーナは、目の前の「お客様」に、営業用微笑を振りまいた。
「すぐにマチルダと『鏡の住人』を呼び寄せますので」
案の定、ご機嫌は最悪だ。
沈黙されるのが一番怖い。
その時、救いの鐘が、山の大聖堂から聞こえてきた。
晴れやかな国歌、賑やかな伴奏。
新年の式典が、始まったのである。
彼女の密かな願いが天に通じたのか、しばらく間を置いて、剣がゆっくりと、鞘の中に収まった。
しかし、
「二度と、わたしの前に姿を現わすな」
深く目を閉じて言い放った言葉には、あの戦いの最中と同じ、凍りつくような憎しみが込められていた。
「いいな。もし……わたしの前に、また現われるようなことがあったなら、シプリペディルム公国の命運も、その日までと思え。鏡の件を、伝え損ねた場合も同じだ」
見開いた眼に、結界師は足がすくんだ。
「二度と、わたしの前に、この城に、姿を現わすな!」
マントが宙で大きく波を打ち、宰相の後ろ姿が、廊下の向こうに消えて行った。
ジェルソミーナは、廊下の端に、一人佇んでいた。
壁に浮かんだ斑紋が、少しずつ、薄れていく。
(城に来るなということは)
ジェルソミーナは言葉の意味を、反芻した。
(つまりは皇帝陛下の仕事も、引き受けられないってことじゃあ……)
朗々とした国歌は、はや二番に、さしかかろうとしていた。
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