3 鏡の微笑 | 南域結界☆ ジェルソミーナ

3 鏡の微笑

 真暗な部屋の中に、彼のむせび泣く声だけが響いた。
 どれだけ泣いていたのかは分からない。
 宰相の私室の扉の前で、随分前から、背の高い軍服の女が、壁に寄り添うように立っていた。
 朝の光が、廊下に差し込む。
 シトラビンス准佐は細い目を上げて、飛んで行くスズメの群れを数えた。
 刻を告げる塔の鐘が鳴り、朝食を運ぶ下女がワゴンを押してやって来た。
 シトラビンスはそれを手で制して、
「ここには誰も入れないように。お疲れなのだ」
 と念を押した。

 キーツはいつの間にか眠っていた。
 大理石の床の上に眠るその姿は、涙に濡れ、痛々しかった。
 私室の中は薄暗い。
 厚いカーテンとカーテンの透き間をかいくぐって、太陽の光が忍び込もうとしている。
 冬の太陽は控え目に、大帝国の宰相の、やつれた横顔へ手を伸ばした。
(何を……泣いている)
 短い夢の続きの中で、彼は呟いた。
(あいつは死んだのだ。よかったじゃないか)
 熱を帯びた石の柔らかさが、深い眠りへと誘(いざな)ってくれる。
(やっと死んだ……死んでくれた……よかったじゃないか)
 彼は繰り返し呟いた。
 涙が頬を伝って落ちていくのが分かった。
(なぜ泣く。あいつを殺そうと思っていたのだろう。殺したいと願っていたのだろう。丁度よかったではないか。木偶が殺した……事故で死んだ。なんでもいい。全てが元通りになってくれたのだ……良かったじゃないか)
「うっ……」
 突然、嗚咽の波が胸を襲った。
「なぜ消えた」
 カーテンがはためく。鋭い光が刺し込んでくる。
 部屋の中は序々に明るくなってきている。
「なぜ消えてしまった……勝手に! なぜ最後までわたしの思い通りにならない! 逆らって、逆らって、逆らって、逆らって! わたしを苦しめるだけ苦しめて、なぜわたしの知らない所で勝手に消える? なぜそこまでして、わたしに逆らう? なぜ!」

 窓の格子が、完全に開け放たれた。
 ホウキに乗った二つの影が、地上から遥かに高い空で彼を見下ろす。
 一陣の冷たい風が吹き抜けて、影は小さく身震いをした。
 そっと、互いに目を見合わせる。
「なぜ、なぜなんだ。最後までわたしの思い通りにならずに死んで!」
 膝をつき、平伏するような姿で、彼は思いきり床を殴りつけた。
「くそっ!」
 遥か下の地上から、枯れ葉が窓まで舞い上がる。

 二つの影は、窓際に降り立った。
「なぜなんだ! なぜ……みんな消えてしまうんだ! なぜ、わたしだけを置いて勝手に去ってしまう! なぜ、わたしの思い通りにならない。なぜ、全て、わたしの望み通りにならないんだ!」
 彼は泣いた。
「消えていく……みんな……わたしを置いて、勝手に……」


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