3 二つの秘神
>
その咳は、木造宿舎の下階にまで聞こえていたらしい。
見舞いの品を手にしてドアを開けた訪問者は、ストーブに囲まれながら厚手毛布にくるまっている、男に向かって臆面もなくこう言った。
「ミノムシみたいですね、プリッター先生」
プリッターは涙目を上げて、かわいい愛弟子の姿を探そうとしたが、直後、激しく咳き込んで、
「はは……ミノムシになるのも疲れましたよ、テトラ君」
クッションの山に顔を埋めた。
「あの虎男は?」
勧められる前に十五歳の美少年は、戸棚の上に腰をかけて、
「師匠がこんな時に居ないなんて、薄情な奴だな」
「薬を……取りに行ってくれているんですよ」
その声はほとんど、咳に消えた。
「何か……おもしろい話はないですか」
血の気の失せた、細い両目を彼に向けて、プリッターは喉の奥から息をした。
ホワイトシチューの海に浸った時に、どうも風邪をこじらせたらしい。
「そうだなあ」
プリッターは咳をする。
最近は、咳をする度、胸が痛い。
お向かいの先生にもらった薬も、もうあまり効かなくなってしまった。
テトラはいつものように、はきはきと、
「大したことないな。つまんない事ばっかりだよ。毎日毎日、試験ばっかりで、宿題は多いし。今日も古典の教本を一巻読んで……そう、それから、代数の宿題が出てるんだっけ。文法もやんなきゃ駄目だしさ、面倒くさいんだ」
プリッターは毛布の中で、小さく一つうなずいた。
「そうそう先生、そういえばさ。コーザ導師のところのリュイって、知ってる?」
「さあ。誰だろう、それは」
「知らないでしょ。俺だって、知らないもんなあ」
テトラは鼻で笑って、歌うように口の中でぶつぶつ言った。
「ぜんぜん目立たない奴だよ。俺だって、世話してるクリケットチームの一員でなけりゃ、絶対、見過ごしてるさ。球を打つ技術もまあ標準程度だし、見た目も頭も、特に良くも悪くもない、って感じだしな。先生だって、絶対、最後まで印象に残らないよ。本当に、良くも悪くも特徴のない、目立たない奴だからなあ」
そこまで言った時、視線の先で、ガラスの水さしがふわりと浮いた。
テトラは冷ややかな目をその一点に集中させると、鍵盤をはじくような指使いで、歌いながら、戸棚の上から水さしを操り、咳き込んでいる教授の腕にそれを落とした。
「でね、先生、それがさ。前に話してたじゃないか。変に気にしてたろ。あの初等科の出来の悪い奴(の)。レシングっていったかな。初等科のフラミング先生たちの足を、引っ張ってる奴だよ」
座ったまま足元の扉に手を伸ばして、中からクッキーの缶を取り出した。缶には鍵がかかっていたが、テトラが手を触れただけで簡単に開いた。
「リュイの奴、あのレシングと、最近仲がいいみたいなんだ」
>INDEX
その咳は、木造宿舎の下階にまで聞こえていたらしい。
見舞いの品を手にしてドアを開けた訪問者は、ストーブに囲まれながら厚手毛布にくるまっている、男に向かって臆面もなくこう言った。
「ミノムシみたいですね、プリッター先生」
プリッターは涙目を上げて、かわいい愛弟子の姿を探そうとしたが、直後、激しく咳き込んで、
「はは……ミノムシになるのも疲れましたよ、テトラ君」
クッションの山に顔を埋めた。
「あの虎男は?」
勧められる前に十五歳の美少年は、戸棚の上に腰をかけて、
「師匠がこんな時に居ないなんて、薄情な奴だな」
「薬を……取りに行ってくれているんですよ」
その声はほとんど、咳に消えた。
「何か……おもしろい話はないですか」
血の気の失せた、細い両目を彼に向けて、プリッターは喉の奥から息をした。
ホワイトシチューの海に浸った時に、どうも風邪をこじらせたらしい。
「そうだなあ」
プリッターは咳をする。
最近は、咳をする度、胸が痛い。
お向かいの先生にもらった薬も、もうあまり効かなくなってしまった。
テトラはいつものように、はきはきと、
「大したことないな。つまんない事ばっかりだよ。毎日毎日、試験ばっかりで、宿題は多いし。今日も古典の教本を一巻読んで……そう、それから、代数の宿題が出てるんだっけ。文法もやんなきゃ駄目だしさ、面倒くさいんだ」
プリッターは毛布の中で、小さく一つうなずいた。
「そうそう先生、そういえばさ。コーザ導師のところのリュイって、知ってる?」
「さあ。誰だろう、それは」
「知らないでしょ。俺だって、知らないもんなあ」
テトラは鼻で笑って、歌うように口の中でぶつぶつ言った。
「ぜんぜん目立たない奴だよ。俺だって、世話してるクリケットチームの一員でなけりゃ、絶対、見過ごしてるさ。球を打つ技術もまあ標準程度だし、見た目も頭も、特に良くも悪くもない、って感じだしな。先生だって、絶対、最後まで印象に残らないよ。本当に、良くも悪くも特徴のない、目立たない奴だからなあ」
そこまで言った時、視線の先で、ガラスの水さしがふわりと浮いた。
テトラは冷ややかな目をその一点に集中させると、鍵盤をはじくような指使いで、歌いながら、戸棚の上から水さしを操り、咳き込んでいる教授の腕にそれを落とした。
「でね、先生、それがさ。前に話してたじゃないか。変に気にしてたろ。あの初等科の出来の悪い奴(の)。レシングっていったかな。初等科のフラミング先生たちの足を、引っ張ってる奴だよ」
座ったまま足元の扉に手を伸ばして、中からクッキーの缶を取り出した。缶には鍵がかかっていたが、テトラが手を触れただけで簡単に開いた。
「リュイの奴、あのレシングと、最近仲がいいみたいなんだ」
>INDEX