参考になるかわかりませんが
冬場の冷たい上流の激しい河の流れで
冷水過ぎてからだの感覚もなくなり
力めば簡単に流される。
呼吸すら自然におこってくれなくなったとき
そのときはじめて肉体以外の光のからだの使い方がわかりました。
光を動かしているのに
肉のからだも一緒に動かせる
そんな不思議な感覚。
一瞬でからだが元気になるんです。
一種のタントラだったんじゃないのかなと。
そういう場で分かることもあるので。
危ない目もあながち悪いことではない。
一度思いっきり負けてみると
自然に流れに動きに
委ねてみようができると思うんです。
からだに素直に従ってみる。

今はもっと簡単にできるんですよね🎵

天晴れな天気ですね。

久方ぶりに揺れを体験しましたが

身がしまりました。

揺れと戦うわけでもなく

身をまかせていると

これがどういう意味の揺れなのかがわかる。

心地よさを感じて。

地震=怖いがもしでるなら

ちょっと違う発想も採用してみましょうか。

それは充分やりつくしたでしょう?




危険を感じれば逃げますが

なんとなくそういう危険なことは

もう起きてこないような気がしています。

危険すらエゴがつくっていた

まやかしの映像だったのだと。

本当に長いこと

惑わしていたんだなと。

じぶんで。



わたしたちは長らく

個人の都合ばかりを

生存本能ばかりを

考えすぎていたのかもしれません。

死ぬことに慣れすぎた。

だからこそすぐ死を連想してしまう。

生きなきゃも死を連想してます。

生きるのは当たり前なのでワクワクするはず。

そういう固さも含めて

世界は教えてくれます。

あなたが何を握りしめていたのか

あなたが何を意識しているのか

世界は全力で教えてくれる。

だからこそ気づこうという意志が大事。



この世界は栄える栄えないかの2つしかありません

そしてほっとけば栄えちゃいます。

栄えないを選べば死の方向性が強くなる

そうすると正常な世界の魔法は起きなくなる。

ビルをつくるちからより

壊すちからが多ければ

ビルはたちませんよね。

そしてちゃんと死をつかえていれば壊してくれますが

死がこわいがあると

老朽化してもそのまま。

このからだはたてものとは違い

固定の建造物ではないので

(正確にいうと固定の建造物は何一つないのですが)

生きるいのちによって

常時つくりかえられている

なので本来老朽化という発想じたいがないのです

生き物だから。

これはすごく大事なことなので

ぜひ覚えておいてください。

頭ではわからないと思いますが

絶対にからだがしっくりくると思います。





さてさて話は戻って



揺れによって

いのちがどんどんふきだしてきますので

いままで見れていなかった色々なもの

わたしは第3のからだにこべりついていた

からだを失うことへの恐怖が出てきてくれました。

そこに執着があったのかと。

あとこべりつきを見つけたとき

無意識に愛するではなく排除きれいにしようを

採用していたことに気づきました。

なるほど!

でたら終わり。

こうして無意識に気づかない部分も

気づかせてくれる世界の采配に感謝です照れ


もし地震に恐怖を感じたなら恐怖を

もし地震に死ぬことがこわいを感じたなら

もし地震にもっとやっておけばよかったと後悔を感じたなら

もし地震で心配を感じたなら

それがそこにずっとあってくれたということです。

心配があれば心配を感じるような

怖さがあれば怖さを感じるような情報やニュースをつくります。

わたしたちはそのどれをも

否定せずただただあいでみることができる。


大地からもれ出るいのちの流れを

ぜひぜひ感じてみてください🎵


皆さまはいのちの力をあなどってますよ照れ

どんどん活用していきましょう🎵

頭や色々な情報の手放しがどんどん必要で

今後はからだにしたがった直感をどんどん磨いていく感じになると思います。

無私になると色々わかってくる。

頭を使うとどうしても時差が発生しちゃうので。


あとイメージなのですが

光の柱やいのちの火があって

そこにあると認識できていると

ヒトもものも何もぶつかってこないですし

巻き込まれがない。

巻き込まれがある世界もあるかもしれなくて

それもオッケーですが

巻き込まれがない世界を採用する。


わたしここにいますよの

サインにもなる気がしています。

世界に認識されてないと

明日何があるか→になると思うので。

最近横断歩道の塗料が

ブラックライトで光るみたいなものも

研究されてるみたいで

光ってないと認識されないんじゃないかなと。

水の流れに逆らわず

流れるいしのように

抵抗もせず

かといって死ぬつもりも生きるつもりもなく

ただただ今に鎮座している。


そんな感覚でどうでしょう?