北アルプス連峰、、、、
九八の「顕」のブログへようこそ、、、、
声聞とは、耳から入る事で横超するのです。
横超する事実と、意味内容を理解する事とは一切関係が無いのである。
それどころか、意味内容を理解した事が邪魔をするのである。
仏法は声聞に極まる。
眼から入っただけでは、見解や解釈が入る為に事実から離れるのです。
ゆえに必ず、耳から入る事に由って横超するのである。
何度でも何度でも、聞いて聞いて聞き倒す事が必須と成るのです。
願行具足の名号は「他力仏心一如」と為し、信心獲得を廻向されて、
「不断煩悩得涅槃」の無上の幸せを頂けるのである。
即ち、煩悩を断つ事なく涅槃を得て、最高の幸せを廻向されるのである。
ゆえに、何が起きても、一切煩い悩めなく成ると言う幸福と為すのである。
親鸞聖人のお示しをお借りすれば、、、、
他力より「摂取不捨の利益」を廻向されると言うありようです。
つまり、他力に摂り救われて、絶対に見捨てられない幸せを得るのである。
しかも、生きている間にである。
金剛心を信心獲得する者は、必ず現生に無上の幸福を賜るのである。
無上の幸福のまま「等覚」まで、一念にて横超するのである。
他力無碍光の誓いの道を廻向されるのである。
「後生の一大事」である「死も問題」も、無上の喜びと為すのである。
ゆえに、たった今が、永久の苦悩に沈んで行くのか、、、、
それとも、永遠の幸せを受け賜るかの一大事の時なのである。
善導大師より、日本に「他力本願」を持ってきたのは「源信僧都」です。
源信は、若干15歳でありながら、時の「村上天皇」に説法を説きました。
その説法が、あまりにも素晴らしいありようであり「村上天皇」は感銘して、
源信に多くの褒美を取らしたのである。
源信はその褒美の品を、総て母親に送って喜んで頂こうと思ったのです。
ところが数日後に、その褒美の品は一通の手紙と共に送り返されて来ました。
その母の手紙には、、、、
「そなたは後の世を渡す橋とぞ思いしに、世渡る僧と成るぞ悲しき」
と言う、母の言葉が書いてありました。
源信は母の思いに泣き崩れ、悔い改めて、その後中国の唐へ渡り、、、、
善導大師より「十方衆生を必ず、信楽に救う」と言う「他力誓願」を、、、、
日本に持ち帰り、広く流布して伝えたのである。
源信も素晴らしい人ですが、母も本当に素晴らしい人です。
南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏、、、、
自力の「雑行・万行」を捨てて、一心に他力の誓いに帰命するのである。
無明の闇である「後生の一大事」が、幸せの大歓喜と為すのである。
「利剣即是 他力名号」なり、、、、
即ち、他力名号は「剣」であり、自力の「邪気・迷い・煩い・苦悩」を、
一刀両断に、切り殺すのである。
実に、尊く有り難く嬉しく、絶対の信頼がおけるのである。
真の時は『弥陀の一声』南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏、
今までに、対面・電話・Skype・zoom声聞等を、一度でも受けた人は、
「縁覚点検」を、随時こまめに何度でも、ご利用する事をお勧め致します。
極めて尊く稀なご縁でごさいます。
何を問えば良いのか分からないと言う人は、、、、
『縁覚点検お願いします』と、書いてください。
お電話にて30分から60分程の点検を(電話代込み)無料で実施しております。
これが、甚だ効果的なのである。
狂った方向へ攀じ登って行き、何時までも貪っている為に、、、、
「佛果」が伴わないのである。
その都度、軌道修正をこまめにやりながら、、、、
ご自身の永遠の真相である「一仏乗・独尊」阿弥陀仏に目覚めるのである。
縁覚点検はあくまでも点検であり、声聞とは違います。
素直な疑問・質問が、ご自身を救うのです。
ご自身がご自身を救う事に、絶対に遠慮などしないで下さい。
本気に成って、一向専念して信心決定するのです。
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ご無沙汰している方はデータが無いので一度ご連絡して下さい。
縁覚すると言うありようがどれほど、大切な事であるかを知って下さい。
「九八の個人声聞」セッション
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本日もお越し頂き、ありがとうございました。
これを以って「法の供養」と致します。