
縁とは、実に不可思議なものです、、、、
毎回驚きの声聞会ですが、今回も驚愕のお話しと成ります。
皆さんとお会い出来る事を楽しみにしております。


九八の「顕」のブログへようこそ、、、、

読者の皆様、いつもありがとうございます。
縁とは、実に不可思議なものですね。
お会いしてから、もう10年に成る人も居ます。
「縁」と言っても「縁と言うモノ」が有る訳ではありません、、、、
何がどうなっているのか、理由も意味も因果関係も何も分からないのです。
後から、色々な推測や想像やイメージを付けているだけであり、、、、
実際には、誰にも絶対に分からないのです。
今自体には、分かると言う事が無いからである。
しかし、いつも必ずこの様に成っている訳です。
この事実は実感覚として、頷けている訳です。
このありようだけで、完璧にやれているのです。
ゆえに、思惟観念で分かると言う事が、要らないように成っているのです。
要するに、思惟観念で分って知っている事が今の事実を妨げているのです。
即ち、何も分からなければ、完璧に今自体と成っているのである。
しかし、どうしても思惟観念で、分からないと気が済まない訳です。
ゆえに、分かってる事や理解している事や承知している事に由って、、、、
人間的な問題や苦悩が生じているのである。
ですから、常に今から離れている為に、完全に顛倒しているのです。
この事実に、気が付く人が居ないのです。
ゆえに、何度お示ししても、常に今から離れているので、、、、
全く話が入らないし、通じない訳です。
そして、相変わらず理解に由って、分かろうとしているので、、、、
どんどん今の真実から離れて、狂った方向へ行くのです。
今自体が故に「得る・求める・分かる・留める」と言う事が無いのです。
しかし、誰もがこの執着を、手放そうとはしないのです。
それは、怖いと言う錯覚を相手にしているからである。
この執着から離れれば、一切の苦脳が滅するのである。
そこで、考えで離れようとしても、かえって苦しくなるのです。
即ち「自力を捨てて他力を取る事」で、天然自性に抜け出せるのである。
これが「寂滅為楽」と言う、ありようである。
声聞はすれど、我も仏も無かれけり、何処にも行かぬここにおる。
真の時は『弥陀の一声』南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏、

今までに、対面・電話・Skype・zoom声聞等を、一度でも受けた人は、
「縁覚点検」を、随時こまめに何度でも、ご利用する事をお勧め致します。
極めて尊く稀なご縁でごさいます。
何を問えば良いのか分からないと言う人は、、、、
『縁覚点検お願いします』と、書いてください。
お電話にて30分から60分程の点検を(電話代込み)無料で実施しております。
これが、甚だ効果的なのである。
狂った方向へ攀じ登って行き、何時までも貪っている為に、、、、
「佛果」が伴わないのである。
その都度、軌道修正をこまめにやりながら、、、、
ご自身の永遠の真相である「一仏乗・独尊」阿弥陀仏に目覚めるのである。
縁覚点検はあくまでも点検であり、声聞とは違います。
素直な疑問・質問が、ご自身を救うのです。
ご自身がご自身を救う事に、絶対に遠慮などしないで下さい。
本気に成って、一向専念して信心決定するのです。
ブログのメッセージ欄、ショートメールから、お待ちしております。
ご無沙汰している方はデータが無いので一度ご連絡して下さい。


本日もお越し頂き、、、、

これを以って「法の供養」と為す。