
戸隠神社・中社、、、、
実際にお会いして一体と成り声聞する時は、入り方が全然違います。
皆様とお会い出来る事を、楽しみにしております。

九八の「顕」のブログへようこそ、、、、

朝美さん、リブログありがとうございます。
而今の事実とは「弥陀の功徳・慈悲」であり、、、、
決して人を苦しめないし、人を傷つけないし、人を煩わせる事がないのである。
この「永遠の真相」が、日常を通じてハッキリと実証されて来るのです。
必ず「安心・満足・平和」と言う「佛果」に包まれてくるのである。
しかし、狂った縁を拠り所として、狂った方向へ攀じ登り貪っていれば、、、、
「佛果」に至らず。「煩悩」と言う苦悩が生じて来るのである。
その「煩悩」と言う苦悩も、心に移さず「心を制する」ならば、、、、
「煩悩 即 菩提」と為すのである。
即ち「煩悩」も「菩提」も、同根一如であり、一切の区別は無いのである。
一点が、一点のみで済んで行き、記憶にも留まらないのです。
総てが『弥陀の本願功徳』の慈悲のありようなのである。
そう思えないのは、事実を粗末にして、狂った方向へ攀じ登っているからです。
ゆえに、回向返照の退歩に、証される事である。
実在しない未来では無く、今そのモノに照り返されている事実のみである。
弥陀の十方全宇宙は、唯ひとえに「ご自身お独り」の為なり、、、、
永遠の光明無量寿、慈悲のありようのみである。
この「永遠の真相」に目覚めるのである。
大通智勝と言う佛は、何万光年も坐禅修行をして来ました。
しかし、全く自覚と為さず、苦しい坐禅修行を続けていました。
そこで、大通智勝さんは、ゴータマさんを訪ねて行き、声聞したのである。
そこで、ゴータマさんは「心を制する事である」と、お示しされて、、、、
その後、大通智勝さんは、坐禅を捨てて、即今「自覚」を得たのである。
それ以来「大通智勝佛」と言われるように成りました。
「聖道修行坐禅」の方便に用が無いのである。
『弥陀の他力浄土』に、実証されて行く事なのである。
弘法大使=「空海の心の中に咲く華は、弥陀より他に知る人ぞ無き」
良寛=「愚かなる身こそなかなか嬉しけれ、弥陀の誓いに逢うと思えば」
良寛=「良寛に辞世あるかと人問えば、南無阿弥陀仏と言うと答えよ」
一休=「面壁九年まで坐禅するこそ無益なれ、真の時は弥陀の一声」
達磨大使=「坐禅を捨てて、連日合掌念仏に移りました」
ゴータマ・シッタルタ=「南無阿弥陀仏の念仏三昧を説く」
親鸞聖人=「ひとえに弥陀の本願は、ただ親鸞独りが為なり」
たった今、誰もが「煩悩具足」の凡夫のままで完璧に救われているのである。
この自覚が無いだけなのである。
しかし「声聞」するならば、必ず、その時節因縁の機が熟して来るのです。
自覚とは、ご自身の一番大切な思考観念が抜け落ちた時、突然に来るのである。
人生の総てが、完全に抜け落ちるのである。
それは、心を制することである。
倦まず弛まず、慎んで放逸すること勿れ。
声聞はすれど、我も仏も無かれけり、南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏

これまでに、対面・電話・Skype・zoom声聞等を、一度でも受けた人は、
「縁覚点検」を、随時こまめに何度でも、ご利用する事をお勧め致します。
極めて尊く稀なご縁でごさいます。
何を問えば良いのか分からないと言う人は、、、、
【縁覚点検お願いします】と、書いてください。
お電話にて30~60分程の点検を(電話代込み)無料で実施しております。
これが、甚だ効果的なのである。
狂った方向へ攀じ登って行き、何時までも貪っている為に、、、、
「佛果」が伴わないのである。
その都度、軌道修正をこまめにやりながら、、、、
ご自身の永遠の真相である「一仏乗・ご本尊」阿弥陀仏に目覚めるのである。
縁覚点検はあくまでも点検であり、声聞とは違います。
素直な疑問・質問が、ご自身を救うのです。
ご自身がご自身を救う事に、絶対に遠慮などしないで下さい。
本気に成って、一途に信心決定するのです。
ブログのメッセージ欄、ショートメールから、お待ちしております。
ご無沙汰している方はデータが無いので、一度ご連絡して下さい。


本日もお越し頂き、、、、

これを以って「法の供養」と為す。