誰もが深い靄の中を彷徨って終わって行く、、、、
「九八とゆみの大阪声聞会」のお知らせ。
2024年3月9日(土)、 10日(日)、
「お申込み・詳細はこちらからどうぞ」
久しぶりに大阪で開催致します、是非お越しください。
九八の「顕」のブログへようこそ、、、、
誰もが完璧な「如来」でありながら、、、、
深い深い靄の中を彷徨って終わって行く、本当に勿体ない事です。
あかりさん、リブログありがとうございます。
深い深い靄を祓い、永遠に果てしのない「青空の自覚」に目覚めるのです。
声に任ずるならば、必ず、機が熟して来ます。
そして、氷に閉ざされていた如来が、金剛の力に由って、、、、
氷が溶けだして出現するのです。
しかし、この氷が人によっては頑固で堅く、なかなか溶けないのです。
ゆえに「私には無理だ」と、諦める人も出て来る、、、、
しかし、諦めても諦めても諦めなければ良いのです。
つまり、人間的な判断を一切捨てるのです。
「如是の法」の成り行きに、総てを任ずる事です。
任じて放てば、満ちたりて法の華である「功徳の華」が咲き誇るのである。
この真相がハッキリと実感できる、日常生活と成るのです。
これは、意識でもなく、心でもなく、気持ちでもなく、考えでもなく、、、、
「在るでもなく、無いでもない」と言うような、曖昧なありようではありません。
どっしりとした確かなありようであり、永久に離れる事が無く、、、、
これほど、確かで安心で平和なありようはありません。
しかも、永久にハッキリとクリアに成り続けると言う、底が無いのである。
無上甚深微妙法、、、、
盤珪 永琢(ばんけい ようたく/えいたく)が、お示しされたように、、、、
「聖道坐禅と公案を主とすること勿れ、聞法声聞を主とせよ」と言う事です。
盤珪 永琢がお示しされた事実が、大きなカギに成っているのです。
座禅瞑想に由って得られる、静寂の世界には永久真相が生じないからである。
かえって更に、静寂を貪り酔い、それを求める坐禅病に罹る人が多いのです。
盤珪 永琢も、白隠禅師も、この坐禅病に罹り長く苦しまれたのです。
座禅瞑想がいけないと言う事でない「主にするべからず」と言う事である。
永嘉玄覚も慧能の「聞法声聞」に由って「一宿客」と言われ、、、、
一晩で、忘我も無く、決着が着いたのです。
何か特別な経験をする事など、全く関係が無いのです。
四六時中が、禅定波羅蜜自体なのです。
ゆえに、絶対に他に行き場が無いのです。
ところが、他に行き場が在るような気がする訳です。
その気の意味内容を、攀じ登っている様子が修行メソッドなのです。
その延長線上には、何もありません。
気の意味内容など、錯覚だからです。
誰もが完璧な「如来」でありながら、、、、
深い深い靄の中を彷徨って終わって行く、本当に勿体ない事です。
本当に素直に成らない限り、深い深い靄は祓えませんよ。
これまでに、対面・電話・Skype・zoom声聞等を、一度でも受けた人は、
「縁覚点検」を、随時こまめに何度でも、ご利用する事をお勧め致します。
極めて尊く稀なご縁でごさいます。
何を問えば良いのか分からないと言う人は、、、、
「縁覚点検お願いします」と、書いてください。
無料で、点検を実施しております。
これが、甚だ効果的なのである。
狂った方向へよじ登って行く為に、仏果が伴わないのです。
その都度、軌道修正をしながら、本来の「ご本尊」に目覚めるのです。
縁覚点検は、あくまでも点検であり、声聞とは違います。
素直な疑問・質問が、ご自身を救うのです。
ご自身がご自身を救う事に、遠慮してどうするのですか。
本気に成って、一途に信心決定するのです。
ブログのメッセージ欄から、お待ちしております。
ご無沙汰している方はデーターが無いので、一度お電話して下さい。
ゆりさんイタリア語・バージェスあつこさん英訳サイトです。
本日もお越し頂き、、、、
これを以って「法の供養」と為す。