阿弥陀如来の「室・衣・座の三軌」、、、、
九八の「顕」のブログへようこそ、、、、
阿弥陀如来の「室・衣・座の三軌」と為す、、、、
阿弥陀如来の「室に入る」とは、「菩薩の慈悲行」に在ると言う事です。
阿弥陀如来の「衣をまとう」とは、「忍辱波羅蜜」故に、苦が苦と成らず。
阿弥陀如来の「座に着く」とは、一切の執着が出来ないと言うありようです。
誰もが例外なく、阿弥陀如来の「室・衣・座の三軌」と言う、、、、
「三軌」と成っているのです。
「軌・ワダチ」に成っている為に「三軌」から外れないのです。
しかし、全くこの自覚が無い為に、完全に見当外れの事をやっているのです。
そして、その事にも、全く気が付けないのです。
ゆえに、ご苦労が絶えない訳です。
この事実を、正等にお示しする事で、ご自身の真相の「仏眼」が開くのです。
そして、実際に幾人の方々の「仏眼」「如来眼」が開いて来ている。
方向が狂っているので「三軌」の自覚が生じないのです。
皆さんが考えているような、人間的なありようは微塵も無いのです。
「阿弥陀如来」そのモノのありようしか無いのです。
とんでもない錯覚の自縛に、陥っている事にも気が付けずに、、、、
大変なご苦労を強いられているのです。
この「阿鼻叫喚地獄」から、解脱する事に用が在るのです。
現代の葬式仏教では、修行に由って「三軌」に入ると言う考え方に成っているが、
これから等と言う、ありようは何処にもありません。
そう言うありようでは無いのです。
そこで「不可思議解脱法門」を開き、声聞に由って知らずに入門して、、、、
知らずの間に、不可思議な内に解脱していると言う、、、、
実に、不可思議な「妙法」のありようなのです。
ゆえに、世情のありようからすると、信じられない訳ですよ。
何の努力の無く、知らない内に解脱しているなんて、あり得ないと思う訳です。
それは、当然の思いですが、事実では無いのです。
しかし、知らずに解脱している事が事実なのです。
但し、自分の見解があるうちは、九八の話しが全く入らない為に不可能なのです。
見解を捨てて話しが聞ける人でないと、ブロックしている為に無理なのです。
始めての人は、ブロックしながら聞いているので、全く話が入らない訳です。
しかし、何度か話を聞いているうちに、このブロックが外れて来るのです。
そうすうると、話しがスルスルと流れ込んで来るように成るのです。
更に正しく言えば「声聞一つ」と、成るのです。
そうなれば、否が応でも、ご自身自体のありように実証されて来るのです。
それは、驚愕のありようであり、、、、
そこに、知らずうちに、自覚が生じて来るのです。
本法性・天然自性身、、、、
天上天下唯我独尊、、、、
こうして便宜上、人の姿で産まれて、本当に良かったと、、、、
根底から、妙喜が生じるのです。
声聞すれども、我も仏も無かりけり、南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏、、、、
これまでに、対面・電話・Skype・zoom声聞等を、一度でも受けた人は、
「縁覚点検」を、随時こまめに何度でも、ご利用する事をお勧め致します。
極めて尊く稀なご縁でごさいます。
何を問えば良いのか分からないと言う人は、、、、
「縁覚点検お願いします」と、書いてください。
無料で、点検を実施しております。
これが、甚だ効果的なのですよ。
攀縁に由り狂った方向へ、よじ登って行く為に仏果が伴わないのです。
その都度、軌道修正をしながら、本来の面目に目覚めるのです。
縁覚点検は、あくまでも点検であり、声聞とは違います。
素直な疑問・質問が、ご自身を救うのです。
ご自身を救う事に、遠慮などしないで下さい。
本気に成って、一途でないと無理ですよ。
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これを以って「法の供養」と為す。