
触れると出る処なく出て来て、消える処なく消えている、、、、
九八の「顕」のブログへようこそ、、、、

はんげつじゅんさん、リブログ、ありがとうございます。
触れると出る処なく出て来て、消える処なく消えている、、、、
この永遠の活動は、いったい何なのでしょうか。
こんなこと当たり前過ぎて、考えた事もないのではありませんか。
そんな事よりも、夢を叶えて成功して、お金持ちに成って楽しく過ごしたい、、、、
と、考えている人が大半ですよね。
私もそうでした、そして、そう成るように頑張ってやって来ました。
そして、ある程度の富み、名誉、地位を得ました、、、、
高級外車に、三階建ての旅館、美術商億単位の収入、政治家や起業家との付き合い、
しかし、精神的には苦しく成るばかりで、お金と仕事に追われる日々で、
私が心底から、求めていたモノではありませんでした。
やがて、バブル経済も崩壊して、金の切れ目が縁の切れ目となり、
みなさんが離れて行き、増々、苦しく成りました。
まったくの見当外れの事をやっていて、根幹から外れていたんですね。
やっぱり22歳の時に不思議な経験をした事の方が事実だと、ようやく気付いたんです。
ずっと封印して来ましたが、それからを色々と整理をして、身軽になって来ました。
そして、3・11東日本大震災が起きて、それを機に財産を処分して、戸隠に越して来ました。
それから、今に至っている訳です。
それから約11年間、皆さんとのご縁を頂き、いつの間にか「九八塾」となり、、、、
イギリス講演会と成り、声聞会と成り、縁覚と成り、zoom声聞となり、、、、
まったく、図らずも総てが生じて来る訳です。
しかしこれらは、あくまでも、人間的な思考の話しであり、、、、
実際には、何も動いてないのですよ。
触れると出る処なく出て来て、消える処なく消えている訳です、、、、
これはいったい何なのでしょうね。

応無所住 而生其心(おうむしょじゅう にしょうごしん)
在るとも無いとも、総てに実態がない訳です。
在るとは「在ると言う思い」が在るだけですよ。
無いとは「無いと言う思い」が在るだけですよ。
実相は、どちらでもなく、どちらでもあり、、、、
「認識・思考・言葉」から、離れる事で「ご本尊の眼が開く」訳です。
文章からでは、なかなか難しい訳ですよ。
分かる事、理解する事、納得すると言う「類い」とは異なるありようであり、、、、
認識以前のありように要が在るのですよ。
尊い、ご自身の「自法灯明」のありように目が開きますように、、、、

あなただけにしか通用しない声聞ですよ。



本日もお越し頂き、ありがとうございました。

九八^^。