只、観えている、、、、
只、聴こえている、、、、
只、匂っている、、、、
只、思えている、、、、
全部がまったく、同じ事なんですが、
思えている事だけが、違うと思って分けているから、
引きずったり、辛くなる訳です。
総て、同じなんですよ。

みなさん、

九八の「顕」のブログへようこそ、、、
お元気でお過ごしですか。
「思える」と、言う働きが、在る訳です。
それは自分で、「思おう」とやって無いですね。
知らずに、「思えて」いる訳です。
そしてその「思い」には、実態が無いんです。
只、「思えて」終わっているだけなんですよ。
なのに、その思いを、考えで、取り扱うから、
「どうしたらいいの」とか、なって苦しみが生じるんです。
考えで、取り扱わない事なんです。

只、聴こえる音は、一々、取り扱わないで、
そのままに、終わって行くでしょう。
只、観ているモノも、そのままに、通り過ぎて行くでしょう。
だから、何の問題にも成ら無い訳ですが、、、、
「思えてる事」は、考えで、取り扱うんですね。
「思えてる事」も、これと、まったく同じなんですよ。
知らずに、分けているんですね。
事実は、分かれて無いんですよ。

観える事も、、、、
聞こえる事も、、、、
思える事も、、、、
感じる事も、、、、
匂う事も、、、、
味がする事も、、、、
総てが、まったく同じ事で、、、、
そこで、パッと起きて、それで総て、終っているんですよ。
何処にも、留まっていませんよ。
生じたモノは、必ず、滅する訳です。
この事実に、気づく事なんですよ。





4月14日(日)、13時~16時、3名様、¥15000-(食事代込み)


ヨーロッパにお住いの方は、是非、お越しください。
「主宰者、バージェスあつこさん」
「九八の個人セッション」
本日もお越し頂き、

九八^^。