事実によって、証明されている。
そして、事実によって、救われている。

九八の読者のみなさん、

九八の「顕」のブログへようこそ、、、
お元気ですか。
極めて稀なご縁に、感謝申し上げます。
日常の事実によって、証明されて、救われているんですよ。
人が何を考えようが、それ以前に、在る事実「静寂な様子」、、、、
総てが、そこで、起きて、終わっているんです。
事実には、何にも付いて無いんですよ。
常に、真っ新な、、、「空」なんです。

人の見解や、考え方が入る、以前の「事実」、、、
その様子に、用が在るんです。
認識以前の、在り様に用が在る訳です。
認識に映った後に、用は無いんです。
分かった分だけ、邪魔なんですよ。

何かをする事じゃ無いんです。
何処かへ向かう事じゃ無いんです。
そんな対象は、何処にも無いんですよ。
既に、至っている訳です。
「至道無難」しどうぶなん
何も難しくない、既に、道、そのモノに、至っている。
それを、自ら壊しているのが、自我感=考え方です。
「空寂」の在り様、、、、
その必然性に、任せておけば、何の問題も無い訳です。

只、「好き・嫌い」の、二つに分けて、執着するがゆえに、苦が生じる訳です。

今、触れている「事実」のままで在るならば、何の問題も無い。
実相、事実に、感謝しかない。

何かをする事じゃ無い、、、、
何処かへ向かう事じゃ無い、、、、
既に、道ものモノに、至っている。
その事実に、救われている事に、気づくお話を、ゆみさんとしています。


是非、お越しください。
「夕食会」だけでもOKですよ。
本日もお越し頂き、

九八^^。