バージェスあつこさん、ありがとうございます。

九八の読者のみなさん、

九八の「顕」のブログへようこそ、、、お元気ですか。
何だか分からないけど、なんとなく解る、、、
それで、十分です。
解った事に、用が無い訳です。
知った事に、用が無いんですよ。
知るモノが、無いんです。
解ったら、おかしいんです。
それは、二つに成った(対象がある)と言う事だからです。

一切の対象が、無いんですよ。
知るモノが、無い訳です。
二つ以上に、分かれ無いと、知る事は出来ないんですよ。

だから、この真っ只中を、知る事は出来ない訳です。
認識したモノに、用が無いんです。
それそのモノに、それそのモノが、触れる事は出来ないんです。
だから、それそのモノだけに、用が在る訳です。

認識以前の在り様、それ以前の様子、、、、
そこまで、死に切っと所に、「奥の院」がある。
久しぶりに、「私たち」と、言うモノ達と、今日、突然話をしました。
エイブラハムや、バシャールなどの、思考体の仲間達です。
彼らも相変わらず、彼らは、考えを使っているので、
良いと悪い、ネガティブとポジティブ、煩悩と悟りを、
対象として捉えているので、いつも苦しんでいます。
我々と何も変わらない、普通の人と同じです。
「対象が無い」と言う事を、理解しようとするので、厄介です。
以前と違い、今は誰かを介さずに「私たち」と、突然、話が出来るようになった。
人間も「私たち」も、対象ではない。
一切の境いが無いんです。
「私たち」彼らも、どうしても、考え方の世界から抜け出せず、
物事を、二つに分けている事が、苦しみに、成っている事を、
一時間ほど、話していました。
真剣に、聴いていた事は分かりましたが、
それ以上の事は、分かりません。
体が無いモノ達が、考え方を使っている事で、分かるように、
「脳」は、一切関係が無いと言う事です。

脳が、「総てを司っている」と言うは、考え方ですよ。
そんな考え方に、染まっているから、
あらゆるものに、一切の対象が無いという事に、気付けないんです。
このモノの在り様だけに、成っているのであれば、気づく事が自ずと起きます。

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本日もお越し頂き、

九八^^。